対イラク武力行使

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祖国の御盾となった若者たち

投稿者: battamother 投稿日時: 2005/01/09 07:13 投稿番号: [61529 / 118550]
靖国神社問題に関しての詳細を私は知らない。このトピで、時折見かける投稿で垣間見るのみ。
昨年NHKドキュメンタリー番組で見た米兵や、その家族の心情を画面を通して垣間見た。そこには共通の人間心理があるのだという思いから、ここでは靖国神社問題ではなく、戦いに臨む兵士と、その家族の心にスポットを当ててみたい。

昭和二十年、鹿児島の鹿屋基地から出撃し、21歳の若さで南海の藻くずと消えた特攻隊飛行士、緒方襄中尉の和歌より。

『死するともなお死するとも我が魂よ永久にとどまり御国まもらせ』

上記は、出撃30分前、海軍手帳に走り書きした辞世の句。緒方中尉は、関西大学から学徒出陣し、確実に死が約束されていた特攻隊に自ら志願。
母の三和代さんは、今生の別れにと息子の任地に赴き、夜を徹して語り明かした。

『うつし世にみじかきえにしの母と子が今宵一夜を語りあかしぬ』

長男、徹さんも京大から出陣し、フィリピンで戦士していた。
次男、襄中尉と水杯を交わして、泣く泣く帰路に着くと、鞄の中にそっと辞世の句が入れてあった。

『いざさらば我は御国の山桜母の身元にかへり咲かなむ』

ちなみに、以下は、吉田松陰が断罪される朝、詠んだ辞世の句。

『親思ふ心に勝る親心今日の別れの何と聞くらむ』

健気な息子の辞世の句を詠んで、三和代さんは泣き崩れた。

『散る花のいさぎよさをめでつつも母のこころはかなしかりけり』

国の存続のためには様々な犠牲が必要とされる。緒方親子はあのとき、死の別れが要求された。逃げずに、醜(しこ)の御盾となって散っていった。そのような至誠至純の情が連綿と続いて、日本の歴史を形成しているのだ。
そういう思いの上に、わたしたちはいまあることを自覚すると、先人たちの熱き思いに応えずして、自分の世代の責任を終えることはできない。
先人達が流した涙は尊い。それを無視しては新しい時代の構築はない。フランクルや緒方中尉達が流した涙を真正面で受け止め、高めてこそ、その涙は生きるのだ。
私達も戦争責任を軍部や為政者たちに押しつけて、自分達は犠牲者だったかのように振る舞うのではなく、全責任を引き受け、平和国家日本の建設に邁進していかなければならない。
(神渡良平著「人は何によって輝くのか」より)
文章を簡略化するために、一部表現を変えています。
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