パレスチナ問題と、人道的政治
投稿者: battamother 投稿日時: 2004/12/26 06:53 投稿番号: [60492 / 118550]
同じく元毎日新聞外信記者:大森実氏の本よりピックアップ。
この本の終章に、『戦争の禍根「パレスチナ紛争」』がある。
【イラク戦争にしろ、いかなるアラブ紛争にしろ、第二次世界終結以来の懸案だった「パレスチナ紛争」という根を解決しないことには、いかなるロード・マップを書いても、何の解決にもならない。
第一次パレスチナ戦争による難民が、57年の歳月を経過して、いまや外国亡命者も含めて500万人(パレスチナ居住者は350万)を超える数に達しているが、この難民問題の抜本的な解決を政治課題として取り組んできたのは、カーター大統領とクリントン大統領だけであった。
カーター大統領は異常な程の情熱を燃やして、何度となく中東に足を運んだ。
クリントン大統領がやった外交戦略は、ボスニアへの出兵にしても、コソボ出兵にしても、「人道主義」という確固たる信念と哲学に基づくものであった。
コソボは、オスマントルコの支配が長かったため、イスラム教徒が多かったので、ギリシャ正教系のセルビア人とは、互いに長い闘争歴をもっていた。この人種的偏見による虐殺に怒りを感じたクリントンが、セルビアのミロシェビッチ大統領の官邸にミサイル攻撃を加えたのは、国際世論の支持するところであった。
ミサイル攻撃が、誤って中国大使館を破壊する誤爆事件が起こったが、米中国交断絶という最悪事態を回避できたのは、クリントンのミロシェビッチ官邸に対する攻撃意図が、人道的な見地からだったことが理解されたためではなかっただろうか?
クリントンは、コソボ攻撃には国連安保理の承認を回避して、NATO軍の派兵という手段を使ったが、国際世論はクリントンを支持した。ブッシュ大統領のイラク先制攻撃と違うのも、やはり人道主義の有無ではないのだろうか?
ミロシェビッチは、クリントンの攻撃によって退陣を余儀なくされたが、僕はこの事例に照らしても、「国際政治とは何か?」を考えるとき、「政治のバックグラウンドにあるものは、ヒューマニズムだ」という概念を固定させてきた。
「ヒューマニズムを忘れた政治は、政治ではない」という固定観念が、僕の体内で揺らぐ事なきコンセプトとなったのは、クリントンのコソボ戦略を見たとき以来のものであった。
人道的見地に立ったNATO軍の出兵という、ヨーロッパ諸国を抱き込んだ戦略で、クリントンは内外の強い支持を勝ち取ったのである。
クリントンは、キャンプ・デイビッドに、アラファトPLO議長とイスラエルの労働とのバラク首相を招いて「三首脳会談」を開いた。
この会談では、いま一息の、いいところまで漕ぎ着けたかに見えたが、聖地エルサレムをめぐって交渉は物別れとなり、惜しくも時間切れとなった。
パレスチナ問題の解決は、完全に挫折したまま、政権はジョージ・W・ブッシュに移行したのである。】
※昨日、ラムズフェルドがイラク兵を見舞った。
「安全と言える場所はどこにも無ない。だから、先に攻撃する必要がある」
何とも説得力のない激励文句だろう。
一体どれだけの兵士が、この言葉に発憤しただろう。
兵士を激励する振りをして、自らの進退問題の回避作戦であることは、誰の目にも明らか。
ヒューマニズムの欠落した、自己保身のみの言葉には、決して『言霊』は宿らない。
反米反米と言うが、反米ではないのだ。
その人間性とその行動を問うているのだ。その批判の対象人物が、たまたま米政府の人達だったと言うことに過ぎない。
アメリカからは、これまでにも偉大な政治家や文化人、エンターテナー達が輩出されている。
そのような、偉大なる人物や、偉大なる業績等の全てを、ただアメリカということだけで否定すること―それを反米という。
この本の終章に、『戦争の禍根「パレスチナ紛争」』がある。
【イラク戦争にしろ、いかなるアラブ紛争にしろ、第二次世界終結以来の懸案だった「パレスチナ紛争」という根を解決しないことには、いかなるロード・マップを書いても、何の解決にもならない。
第一次パレスチナ戦争による難民が、57年の歳月を経過して、いまや外国亡命者も含めて500万人(パレスチナ居住者は350万)を超える数に達しているが、この難民問題の抜本的な解決を政治課題として取り組んできたのは、カーター大統領とクリントン大統領だけであった。
カーター大統領は異常な程の情熱を燃やして、何度となく中東に足を運んだ。
クリントン大統領がやった外交戦略は、ボスニアへの出兵にしても、コソボ出兵にしても、「人道主義」という確固たる信念と哲学に基づくものであった。
コソボは、オスマントルコの支配が長かったため、イスラム教徒が多かったので、ギリシャ正教系のセルビア人とは、互いに長い闘争歴をもっていた。この人種的偏見による虐殺に怒りを感じたクリントンが、セルビアのミロシェビッチ大統領の官邸にミサイル攻撃を加えたのは、国際世論の支持するところであった。
ミサイル攻撃が、誤って中国大使館を破壊する誤爆事件が起こったが、米中国交断絶という最悪事態を回避できたのは、クリントンのミロシェビッチ官邸に対する攻撃意図が、人道的な見地からだったことが理解されたためではなかっただろうか?
クリントンは、コソボ攻撃には国連安保理の承認を回避して、NATO軍の派兵という手段を使ったが、国際世論はクリントンを支持した。ブッシュ大統領のイラク先制攻撃と違うのも、やはり人道主義の有無ではないのだろうか?
ミロシェビッチは、クリントンの攻撃によって退陣を余儀なくされたが、僕はこの事例に照らしても、「国際政治とは何か?」を考えるとき、「政治のバックグラウンドにあるものは、ヒューマニズムだ」という概念を固定させてきた。
「ヒューマニズムを忘れた政治は、政治ではない」という固定観念が、僕の体内で揺らぐ事なきコンセプトとなったのは、クリントンのコソボ戦略を見たとき以来のものであった。
人道的見地に立ったNATO軍の出兵という、ヨーロッパ諸国を抱き込んだ戦略で、クリントンは内外の強い支持を勝ち取ったのである。
クリントンは、キャンプ・デイビッドに、アラファトPLO議長とイスラエルの労働とのバラク首相を招いて「三首脳会談」を開いた。
この会談では、いま一息の、いいところまで漕ぎ着けたかに見えたが、聖地エルサレムをめぐって交渉は物別れとなり、惜しくも時間切れとなった。
パレスチナ問題の解決は、完全に挫折したまま、政権はジョージ・W・ブッシュに移行したのである。】
※昨日、ラムズフェルドがイラク兵を見舞った。
「安全と言える場所はどこにも無ない。だから、先に攻撃する必要がある」
何とも説得力のない激励文句だろう。
一体どれだけの兵士が、この言葉に発憤しただろう。
兵士を激励する振りをして、自らの進退問題の回避作戦であることは、誰の目にも明らか。
ヒューマニズムの欠落した、自己保身のみの言葉には、決して『言霊』は宿らない。
反米反米と言うが、反米ではないのだ。
その人間性とその行動を問うているのだ。その批判の対象人物が、たまたま米政府の人達だったと言うことに過ぎない。
アメリカからは、これまでにも偉大な政治家や文化人、エンターテナー達が輩出されている。
そのような、偉大なる人物や、偉大なる業績等の全てを、ただアメリカということだけで否定すること―それを反米という。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/60492.html