まず民意から 後編
投稿者: welcome2thecivilization 投稿日時: 2004/12/23 03:59 投稿番号: [60259 / 118550]
(以下はNo,60257の続きです)
◎共通認識の伴わない議論のもたらすもの
前回60257で挙げたvox-popsの有様を念頭に置きながら、次の問を各自、頭の中で演繹してみて欲しい。
問 ; 全く相容れない意見の折衷によって導かれる政策とは、どんなものか?
答え ; その時点で議会に影響力のある利権の意向に添った政策ばかりが布かれる。
ただでさえ日本には歴史上、宗教と呼べる宗教などなかった──この詳しい説明はここでは割愛するが──のであり、従って善・悪に代表される日本人の道徳基盤は幼い頃からの環境に育まれた、単なる「処世術」に過ぎないのに。
自衛隊派遣に限らず、60257で考察したように、すべての法案はある一定の主義に基づくよう意見の一致を見てから、初めて話し合われるべきなのだが、国民の中の思考の共通基盤があまりにも不安定なため、出来上がった法律体系を俯瞰したとき、まるで整合性のないものの寄せ集めになることは当然の帰結である(事実、そうなっている)。そして、
《理念に整合性のない法体系に反映されるものは、利害だけである。》
つまり「答え=その時に声の大きかったものの勝ち」という無様に終わるわけである。
理念の伴わない政策調整を、策謀と呼ぶ。
◎利害追求の行き着くところが戦争
利害の絡まない戦争など、有り得ない。
それがたとえ名目上「不安定の弧」の治安回復・安定であれ、戦争を典型とするあらゆる地政学的な行動は、特定の利害関係が成立しない限り、実行することができない。何故ならば(特に戦争は)莫大な費用と多くの人員の協力関係が不可欠だからだ。
逆に言えば、もし戦争をしかけようとする国があっても、関係各国の利害が一致しないか戦争を回避してやっていける選択肢を持っていれば、実はそう簡単に起こせるものではないのである。そして、戦争を引き起こすような利害の偏向を矯正しうるのは、理念だけである。
今回の日本人の罪は、ずっと「民意」が不在だったことで、この期に及んでも日米同盟に頼る以外選択肢のない状況を作ってしまったことである。
忘れてはいけない。戦争は、たとえ遠く離れた地域のことであっても、国家という大きな単位で防がなければ、決して防ぐことなどできない(それでも、とても難しいが)。
◎戦争を防ぐためには「国民国家意識」の啓蒙こそが急務である
大切なことなのでもう一度。戦争は、国家という大きな単位で防がなければ、決して防ぐことなどできはしない。戦争にならないように世界情勢を見極めて、国民が国を操縦しなければならない。
無論、日本人が現在進行形で山積している外交政策に対応できるように、即行で国家を運営しようという気運を持ち合わせることは、現状では望むべくもない(ある意味危険ですらある)ことだし、私も性急にそれを求めるつもりはない。しかし、問題なのはそれに先立つことが、致命的に不足しているということなのである。
国民が国家を運営するという意識=「民意」を持つためには、まず各個人が国家に帰属しているという意識=「国民国家意識」を自覚せねば、始まらないのだ。
「国民国家意識」を伴わずして、議会を監督するはずの国民の「多様な意見の均衝」など、正常に機能するはずが無い。
それにはまず、くにを愛すること。別に特別なことではないのだ。家族や友達を「愛そうとして」愛す人など少ないだろう(いないとは言わないが)。「自分のくに」もその延長に過ぎない。その自然な感情が「自虐史観」や愛国主義=軍国主義であるかのような類の妄言で阻害されているだけだ。
そして、現実的に今の世界情勢の中で日本は今後どうしたらよいか、自分のくにの方向性をきちんと考えること。その段階で「意見の多様性」も、初めて意味を持ってくるのだ。決してその逆ではない。
すべては、そこからだ。
日本政府は学校教育を含めて、戦後破壊されてしまった我が国の「国民国家意識」を早急に立て直さなければ、60257のvox-popsのような民度のままであり、議会での話し合いは、その民度の低さを利用した単なる利害の駆け引きの場でありつづけることだろう。そう、民度にふさわしい国会として。そして、無駄に人が死に続けるであろう。
国家の運営を意識しない国民の意見を「私利私欲」と呼ぶ。我々はサマワに派遣されなくても、間接的にイラク人に引き金を引いているのである。
◎共通認識の伴わない議論のもたらすもの
前回60257で挙げたvox-popsの有様を念頭に置きながら、次の問を各自、頭の中で演繹してみて欲しい。
問 ; 全く相容れない意見の折衷によって導かれる政策とは、どんなものか?
答え ; その時点で議会に影響力のある利権の意向に添った政策ばかりが布かれる。
ただでさえ日本には歴史上、宗教と呼べる宗教などなかった──この詳しい説明はここでは割愛するが──のであり、従って善・悪に代表される日本人の道徳基盤は幼い頃からの環境に育まれた、単なる「処世術」に過ぎないのに。
自衛隊派遣に限らず、60257で考察したように、すべての法案はある一定の主義に基づくよう意見の一致を見てから、初めて話し合われるべきなのだが、国民の中の思考の共通基盤があまりにも不安定なため、出来上がった法律体系を俯瞰したとき、まるで整合性のないものの寄せ集めになることは当然の帰結である(事実、そうなっている)。そして、
《理念に整合性のない法体系に反映されるものは、利害だけである。》
つまり「答え=その時に声の大きかったものの勝ち」という無様に終わるわけである。
理念の伴わない政策調整を、策謀と呼ぶ。
◎利害追求の行き着くところが戦争
利害の絡まない戦争など、有り得ない。
それがたとえ名目上「不安定の弧」の治安回復・安定であれ、戦争を典型とするあらゆる地政学的な行動は、特定の利害関係が成立しない限り、実行することができない。何故ならば(特に戦争は)莫大な費用と多くの人員の協力関係が不可欠だからだ。
逆に言えば、もし戦争をしかけようとする国があっても、関係各国の利害が一致しないか戦争を回避してやっていける選択肢を持っていれば、実はそう簡単に起こせるものではないのである。そして、戦争を引き起こすような利害の偏向を矯正しうるのは、理念だけである。
今回の日本人の罪は、ずっと「民意」が不在だったことで、この期に及んでも日米同盟に頼る以外選択肢のない状況を作ってしまったことである。
忘れてはいけない。戦争は、たとえ遠く離れた地域のことであっても、国家という大きな単位で防がなければ、決して防ぐことなどできない(それでも、とても難しいが)。
◎戦争を防ぐためには「国民国家意識」の啓蒙こそが急務である
大切なことなのでもう一度。戦争は、国家という大きな単位で防がなければ、決して防ぐことなどできはしない。戦争にならないように世界情勢を見極めて、国民が国を操縦しなければならない。
無論、日本人が現在進行形で山積している外交政策に対応できるように、即行で国家を運営しようという気運を持ち合わせることは、現状では望むべくもない(ある意味危険ですらある)ことだし、私も性急にそれを求めるつもりはない。しかし、問題なのはそれに先立つことが、致命的に不足しているということなのである。
国民が国家を運営するという意識=「民意」を持つためには、まず各個人が国家に帰属しているという意識=「国民国家意識」を自覚せねば、始まらないのだ。
「国民国家意識」を伴わずして、議会を監督するはずの国民の「多様な意見の均衝」など、正常に機能するはずが無い。
それにはまず、くにを愛すること。別に特別なことではないのだ。家族や友達を「愛そうとして」愛す人など少ないだろう(いないとは言わないが)。「自分のくに」もその延長に過ぎない。その自然な感情が「自虐史観」や愛国主義=軍国主義であるかのような類の妄言で阻害されているだけだ。
そして、現実的に今の世界情勢の中で日本は今後どうしたらよいか、自分のくにの方向性をきちんと考えること。その段階で「意見の多様性」も、初めて意味を持ってくるのだ。決してその逆ではない。
すべては、そこからだ。
日本政府は学校教育を含めて、戦後破壊されてしまった我が国の「国民国家意識」を早急に立て直さなければ、60257のvox-popsのような民度のままであり、議会での話し合いは、その民度の低さを利用した単なる利害の駆け引きの場でありつづけることだろう。そう、民度にふさわしい国会として。そして、無駄に人が死に続けるであろう。
国家の運営を意識しない国民の意見を「私利私欲」と呼ぶ。我々はサマワに派遣されなくても、間接的にイラク人に引き金を引いているのである。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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