まず民意から 前編
投稿者: welcome2thecivilization 投稿日時: 2004/12/23 03:24 投稿番号: [60257 / 118550]
戦争そのものは、反対や賛成を言えるほど単純なものではないわけだが、イラク戦争の是非や自衛隊の派遣などの議論は何れの主張であれ、論拠に世論の動向をひとつの目安として用いることが多いようだ(特にTVの報道)。「日本の世論の71%が改憲を…」という具合に数字を論拠に使ったり「政策は国民の意思の反映」という具合に、主張の正当性の根拠として、
YesNoゲームの結果 =世論 =民意(本当はイコールではないのだが)
は、実に多用されている。
しかし、その民主主義の根幹である「民意」とは、現状では信頼するに足るものなのだろうか?(YesNo二者択一のバカバカしさについても、本当は触れるべきなのだろうが、今回は字数制限を考慮して別の機会に譲る。別の機会があればだが)。
私は、現在の日本には(恐らく世界にも)民意などほとんどないと思っている。その意味で、日本は今回のイラク戦争の責任の一端がある、とも。
◎人間は(いろんな理由から)戦争を望みがちだ
17世紀のある本(敢えて著作者名は書かない)には、人間社会は戦争状態が自然であり、戦争を回避するためには、国家の強力な介入が必要──つまり人民は国家に主権を譲渡せよ、ということ──と説かれているが、しかし今は21世紀なのであり、平和状態を維持するためには、君主に替わって国民が、国家を強力にステアリングしてゆかねばならない。つまり「民意」が必要なのだ。
以下の考察は、平和状態を維持することを模索することを前提にしている。
◎これが現実だ
v(^0^)vox-pops(民の声)
^^;ほらアレ、○○さんじゃ何か頼りなさそう?てゆーかえっとコイズミさんなら
何かやってくれそう、てゆーか……
^^;景気・雇用対策を何とかしろ!でも民間企業に血税を投入するなど許せん!
^^;三馬鹿は、逝ってよし。
^^;☆★☆これってどう思います??
あなたはこれを「民意」と呼ぶのか。BSEの流入など、考慮する必要はない。国民は既に前頭葉をプリオンに犯されているに間違いないからだ。これらの意見に共通して欠落しているものが何かを想起せよ。家計の苦しい母親が買い物にしか使わないバッグを銀座まで買いに行くことも、その娘が小遣いのために援交することも、某警察署が捜査費を水増しすることも、公共建設事業の入札が談合で行われることも、それらの巨大公共事業を改めることなく歳入の4割を国債に依存していてなおも増税することも、実はすべて同根のものであることが理解されよう。すべて同根。この民度にしてこの政治。我々に政治家を批判する資格などないのだ(だから政治家が何をしてもよい、と言っているのではない)。マスコミが得意げに使う「血税」「公僕」といったフレーズは、国民側の否を誤魔化すための卑劣なデコレーションに過ぎない。
国家の運営を意識しない国民の意見を「私利私欲」と呼ぶ。
◎「民意」と「意見」の違い
以前『イラク戦争』トピで、私の主張──この投稿の結論です──に対して「全体主義だ」とレスした人(以下A君)がいたのだが、要はA君は国家の運営を意識した「民意」と、個人的な要望の所産である「意見」を混同している、若しくは履き違えているのである。
我々の社会は利害の異なる者どおしの関係で成り立っており、利害の偏りを(比較的)少なくする手段としてそれらの意見を互いに戦わせることによって、妥協点を導き出す………これが民主主義の骨子であり、現在殆どの律法国家に於いて(表面的に)採用されている。
だがこの場合の、異なる利害の釣り合いを保つために必要である「意見の多様性」は、最低でも主権の平等という共通認識がそのすべての「意見」の中に共通して含まれていなければ、民主主義は成立しないだろう。例えば民主主義の話し合いの中で「封建制度復活」という「意見」──A君によればこれも意見である──を標榜したとしても、それはそもそも民主主義という概念とパラダイムを異にしている以上、民主主義を構成する「意見の多様性」の集合からは必然的に除外されるのである(この辺を勘違いしている人が実に多い)。
以上は「民主主義」という大枠での話だが、実際に話し合われる事柄は、もっと細分化されその分新たな共通認識の土台が幾重にも重ねられていくことになる。
この辺を詳しく考察していくと本が一冊できてしまうのでここではこれ以上の言及を避けるが、要はある一定の方向性をもってこそ、初めて多様な意見の均衝が機能しうる、ということなのだ。
民主主義国家=人民主権の国家である以上、国民として国を運営するという意識を伴った「意見」のみを「民意」と呼ぶ。
(以下後編に続く。続きを書くあいだ、誠に恐れ入りますが
一旦CM「ちんちん呑み豚」をどうそ)
YesNoゲームの結果 =世論 =民意(本当はイコールではないのだが)
は、実に多用されている。
しかし、その民主主義の根幹である「民意」とは、現状では信頼するに足るものなのだろうか?(YesNo二者択一のバカバカしさについても、本当は触れるべきなのだろうが、今回は字数制限を考慮して別の機会に譲る。別の機会があればだが)。
私は、現在の日本には(恐らく世界にも)民意などほとんどないと思っている。その意味で、日本は今回のイラク戦争の責任の一端がある、とも。
◎人間は(いろんな理由から)戦争を望みがちだ
17世紀のある本(敢えて著作者名は書かない)には、人間社会は戦争状態が自然であり、戦争を回避するためには、国家の強力な介入が必要──つまり人民は国家に主権を譲渡せよ、ということ──と説かれているが、しかし今は21世紀なのであり、平和状態を維持するためには、君主に替わって国民が、国家を強力にステアリングしてゆかねばならない。つまり「民意」が必要なのだ。
以下の考察は、平和状態を維持することを模索することを前提にしている。
◎これが現実だ
v(^0^)vox-pops(民の声)
^^;ほらアレ、○○さんじゃ何か頼りなさそう?てゆーかえっとコイズミさんなら
何かやってくれそう、てゆーか……
^^;景気・雇用対策を何とかしろ!でも民間企業に血税を投入するなど許せん!
^^;三馬鹿は、逝ってよし。
^^;☆★☆これってどう思います??
あなたはこれを「民意」と呼ぶのか。BSEの流入など、考慮する必要はない。国民は既に前頭葉をプリオンに犯されているに間違いないからだ。これらの意見に共通して欠落しているものが何かを想起せよ。家計の苦しい母親が買い物にしか使わないバッグを銀座まで買いに行くことも、その娘が小遣いのために援交することも、某警察署が捜査費を水増しすることも、公共建設事業の入札が談合で行われることも、それらの巨大公共事業を改めることなく歳入の4割を国債に依存していてなおも増税することも、実はすべて同根のものであることが理解されよう。すべて同根。この民度にしてこの政治。我々に政治家を批判する資格などないのだ(だから政治家が何をしてもよい、と言っているのではない)。マスコミが得意げに使う「血税」「公僕」といったフレーズは、国民側の否を誤魔化すための卑劣なデコレーションに過ぎない。
国家の運営を意識しない国民の意見を「私利私欲」と呼ぶ。
◎「民意」と「意見」の違い
以前『イラク戦争』トピで、私の主張──この投稿の結論です──に対して「全体主義だ」とレスした人(以下A君)がいたのだが、要はA君は国家の運営を意識した「民意」と、個人的な要望の所産である「意見」を混同している、若しくは履き違えているのである。
我々の社会は利害の異なる者どおしの関係で成り立っており、利害の偏りを(比較的)少なくする手段としてそれらの意見を互いに戦わせることによって、妥協点を導き出す………これが民主主義の骨子であり、現在殆どの律法国家に於いて(表面的に)採用されている。
だがこの場合の、異なる利害の釣り合いを保つために必要である「意見の多様性」は、最低でも主権の平等という共通認識がそのすべての「意見」の中に共通して含まれていなければ、民主主義は成立しないだろう。例えば民主主義の話し合いの中で「封建制度復活」という「意見」──A君によればこれも意見である──を標榜したとしても、それはそもそも民主主義という概念とパラダイムを異にしている以上、民主主義を構成する「意見の多様性」の集合からは必然的に除外されるのである(この辺を勘違いしている人が実に多い)。
以上は「民主主義」という大枠での話だが、実際に話し合われる事柄は、もっと細分化されその分新たな共通認識の土台が幾重にも重ねられていくことになる。
この辺を詳しく考察していくと本が一冊できてしまうのでここではこれ以上の言及を避けるが、要はある一定の方向性をもってこそ、初めて多様な意見の均衝が機能しうる、ということなのだ。
民主主義国家=人民主権の国家である以上、国民として国を運営するという意識を伴った「意見」のみを「民意」と呼ぶ。
(以下後編に続く。続きを書くあいだ、誠に恐れ入りますが
一旦CM「ちんちん呑み豚」をどうそ)
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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