原発事故といえばチェルノブイリ
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2004/11/04 22:26 投稿番号: [57193 / 118550]
チェルノブイリと言うと、日本の原発とは【方式】が違うが、【放射線被害】に違いはない。
事故から、15年たったチェルノブイリは今・・・
★墓場のような光景
私は今中哲二さん(京都大学原子炉実験所)ら9人のメンバーで、この3月27、28日の両日、原発現地に入りました。今なお残る放射能汚染の状況を目の当たりにし、あらためて強烈なショックを受けました。
無人の街と化したプリピャチ市、住民が避難した後の荒れ果てた家々など、すべてに胸を打たれましたが、
なかでも、事故処理に使われ、
【汚染が強いためにどうすることもできず、】
風や雨にさらされたままヘリコプターやトラックなどが打ち捨てられている、
まさに・墓場・のような光景は衝撃的でした(写真)。
チェルノブイリ原発から南約25キロの地点に有刺鉄線で囲っただけの敷地におよそ2000台。大型の軍用ヘリ、アフガン侵攻にも使われ、この地では汚染された表土を取り除くブルドーザーとして使用された装甲車、戦車、消防車などが延々と並べて放置されているのです。
これらを動かすためにどれだけ大勢の人々が動員されたことか。「まるで戦場だった」という光景が目に浮かんできます。
これらの作業にたずさわった人々がさまざまな障害に苦しみ、
すでに5万5000人以上が亡くなっているのです。こんなにも大きな損失だっだのだとあらためて実感しました。
★立ち入り禁止ゾーンの中の生活
4号炉から放射能がもれないよう鋼鉄やコンクリートでおおわれた巨大な「石棺」を約200m離れた地点からみました。
荻野晃也さん(京都大学工学部)のGM(ガイガー・ミュラー)測定器は1時間当たり25マイクロシーベルトを示しました。自然放射線の約250倍です。
石棺が危機的状況にあることを感じました。
(どら・・コンクリートで厚く覆っても放射線が漏れている)
3号炉は西側諸国からの警告にもかかわらず、エネルギー不足を理由に運転が続けられています。
夜、アパートのかなりの部屋に明かりがついていました。
もちろん、家族と定住しているのではなく、4日働いて3日休みとか、
【相当量被曝する仕事では2週間働き2週間休みなどさまざまな勤務シフト】があるそうですが、
チェルノブイリ市にはつねに約3000人の労働者が滞在しているとのことです。
夕食後、真っ暗な道を歩いて行ったバス停の2階にあるカフェは、30kmゾーン内で働く人々でにぎわっていました。また、朝、大勢の人が通勤のため足早に職場へと向かうのを見て、
【ここが立ち入り禁止となチているゾーン内であることがとても不思議に思われました。】
3月29日、ウクライナ政府は3号炉を今年中に停止し、チェルノブイリ原発の全面閉鎖を決めました。閉鎖後、このゾーンはどうなるのでしょう。
汚染地に生きる人々の声
ゾーンの西側のチェックゲートを出る前にトイレを借りました。お礼を言って、車に戻ろうとすると、作業をしていた2人に呼び止められました。私たちは日本から来たと言うと、「日本にはとても親しみを感じている。ヒロシマも知っている」、そして「ここに住んでいていいと思うか」と聞かれたのです。言葉の問題もありましたが、「イズビニーチェ、ニ、ズナーユ(ごめんなさい。わからない)」としか答えられませんでした。汚染した土地には住まない方がいいのは当然のことですが.........。
私は、彼らのように不安を抱えながら汚染地で生きている人々のことを決して忘れてはならないと思いました。
【国連人道問題調整事務所が出した報告書には、放射線の後遺症が出る期間には個人差があるので、少なくても30年、2016年までは事故の被害の全体像は判明しないとあります】
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/chertour/tushin312.html
ドラ・・もしこの狭い人口密集地、日本で大規模原発事故が起これば、どうなるだろうか?
事故から、15年たったチェルノブイリは今・・・
★墓場のような光景
私は今中哲二さん(京都大学原子炉実験所)ら9人のメンバーで、この3月27、28日の両日、原発現地に入りました。今なお残る放射能汚染の状況を目の当たりにし、あらためて強烈なショックを受けました。
無人の街と化したプリピャチ市、住民が避難した後の荒れ果てた家々など、すべてに胸を打たれましたが、
なかでも、事故処理に使われ、
【汚染が強いためにどうすることもできず、】
風や雨にさらされたままヘリコプターやトラックなどが打ち捨てられている、
まさに・墓場・のような光景は衝撃的でした(写真)。
チェルノブイリ原発から南約25キロの地点に有刺鉄線で囲っただけの敷地におよそ2000台。大型の軍用ヘリ、アフガン侵攻にも使われ、この地では汚染された表土を取り除くブルドーザーとして使用された装甲車、戦車、消防車などが延々と並べて放置されているのです。
これらを動かすためにどれだけ大勢の人々が動員されたことか。「まるで戦場だった」という光景が目に浮かんできます。
これらの作業にたずさわった人々がさまざまな障害に苦しみ、
すでに5万5000人以上が亡くなっているのです。こんなにも大きな損失だっだのだとあらためて実感しました。
★立ち入り禁止ゾーンの中の生活
4号炉から放射能がもれないよう鋼鉄やコンクリートでおおわれた巨大な「石棺」を約200m離れた地点からみました。
荻野晃也さん(京都大学工学部)のGM(ガイガー・ミュラー)測定器は1時間当たり25マイクロシーベルトを示しました。自然放射線の約250倍です。
石棺が危機的状況にあることを感じました。
(どら・・コンクリートで厚く覆っても放射線が漏れている)
3号炉は西側諸国からの警告にもかかわらず、エネルギー不足を理由に運転が続けられています。
夜、アパートのかなりの部屋に明かりがついていました。
もちろん、家族と定住しているのではなく、4日働いて3日休みとか、
【相当量被曝する仕事では2週間働き2週間休みなどさまざまな勤務シフト】があるそうですが、
チェルノブイリ市にはつねに約3000人の労働者が滞在しているとのことです。
夕食後、真っ暗な道を歩いて行ったバス停の2階にあるカフェは、30kmゾーン内で働く人々でにぎわっていました。また、朝、大勢の人が通勤のため足早に職場へと向かうのを見て、
【ここが立ち入り禁止となチているゾーン内であることがとても不思議に思われました。】
3月29日、ウクライナ政府は3号炉を今年中に停止し、チェルノブイリ原発の全面閉鎖を決めました。閉鎖後、このゾーンはどうなるのでしょう。
汚染地に生きる人々の声
ゾーンの西側のチェックゲートを出る前にトイレを借りました。お礼を言って、車に戻ろうとすると、作業をしていた2人に呼び止められました。私たちは日本から来たと言うと、「日本にはとても親しみを感じている。ヒロシマも知っている」、そして「ここに住んでいていいと思うか」と聞かれたのです。言葉の問題もありましたが、「イズビニーチェ、ニ、ズナーユ(ごめんなさい。わからない)」としか答えられませんでした。汚染した土地には住まない方がいいのは当然のことですが.........。
私は、彼らのように不安を抱えながら汚染地で生きている人々のことを決して忘れてはならないと思いました。
【国連人道問題調整事務所が出した報告書には、放射線の後遺症が出る期間には個人差があるので、少なくても30年、2016年までは事故の被害の全体像は判明しないとあります】
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/chertour/tushin312.html
ドラ・・もしこの狭い人口密集地、日本で大規模原発事故が起これば、どうなるだろうか?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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