君って、資料を見てるだけだね 3
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2004/10/28 23:00 投稿番号: [56725 / 118550]
その前提条件とは、
雇い主は慰安婦として女性を雇った際、女性は必ず自発的に仕事に就いていなければならないというものです。
>つまり、「白馬事件」とは、日本軍がいかに違法的な「慰安婦」を取り締まっていたのかを証明する事件に他ならないのです。
はあ、【珍説】ご苦労様です。
白馬事件とは別のたくさんの慰安所でも・・・↓
インドネシアの元慰安婦の証言によると、ウエイトレスや事務員、看護婦などの仕事だと言われたり、裁縫をならわせてやるという詐欺の方法で誘いに応じて強姦されたうえで慰安婦にさせられたケース、
警察官や村の役人を通して集めたケースなどがある。日本軍の一斉取締で捕らえられて慰安婦にされたというケースも報告されている。
だまして連れていったケースが多いと見られるが、軍が表に出ずに警官や村の役人を使って集めさせたケースもかなりあると見られる。そこでは強制的に連行したケースもあったようで・・
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper22.htm
>半月には、そのような事実まで補足されてますか?
読めば?
>さらに、国民徴用令は、1941年には韓半島においては発動されてはいません。1944年9月になって、韓半島の住民にも国民徴用令が適用されるようになったのです。この募集の形態は、法や規則ではなく、好意的協力の形態です。
違いますよ。
★朝鮮人強制連行(半月城さんのHPにもある)
http://www.ksyc.jp/kobeport/news01.html
>こんな、事実、半月では記されていますか?
読めば?
なお、【慰安所は国ぐるみ】↓
陸軍は軍医少佐を蘭印( インドネシア) に派遣して衛生状況について視察させ、1941年 7月の陸軍省内の会議で、その軍医が慰安所設置の必要性を主張している。
【しかも村長に割当てるという事実上強制的な「慰安婦」徴集を提案している。】
太平洋戦争開戦後、陸軍省内の局長会議・課長会議では、南方で強姦事件が多発していることが繰り返し報告され議論されていた。そうしたことをふまえて、1942年9 月課長会議において、人事局恩賞課長が「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり。北支 100ケ、中支140 、南支40、南方100 、南海10、樺太10、計 400ケ所」と報告した。
他方、陸軍省は1942年 3月に1942年度の陣中用品の整備計画を立て、その中で年間所要量の 8割として「衛生サック」1530万個を整備することとした。
この数は、外地にいる兵士 1人にほぼ月 1個の割当てになる。現在までに確認された資料によると1942年の一年間に計3210万3700個の「衛生サック」が交付された。
その交付にあたっては、陸軍省経理局建築課が主務課となり、陸軍大臣・次官の委任を受けて、高級副官や経理局長らの決裁を得ておこなわれている。
(どら・・まさに国策)
またこの交付には大本営兵站総監部参謀長( 参謀本部第 1部長が兼務、兵站総監は参謀次長が兼務) や陸軍軍需品本廠長らが関わっている。陸軍省だけでなく、大本営も関わっているのである。
これらの交付の多くは、支那派遣軍・関東軍・南方軍などからの請求に基づいて行われている。「衛生サック」は派遣軍から軍―師団―連隊 と配付され、末端の兵士たちに配給された。
南方では当初は兵站が慰安所開設を担当したが、後には軍政機関が担当したケースが多いようである( マラヤ・フィリピンのケース) 。
【一方、現地部隊による暴力的な「慰安婦」の連行も多く報告されている。】
このように陸軍省の各部局や大本営が「従軍慰安婦」の徴集・管理に関わり、1942年からは直接、慰安所設置に乗り出すのである。
そうした点からも陸軍の中央から末端までの軍ぐるみで「従軍慰安婦」政策が実行されたのである。
3.海軍のケース
海軍に関する資料は少なく、断片的にわかっているだけである。
1942年 5月海軍省軍務局長と兵備局長から南西方面艦隊参謀長に対して「第二次特要員進出に関する件」が出されている。この中で、シンガポールやスラバヤ( ジャワ) など東南アジア 6か所に特要員=「慰安婦」を送ることや慰安所の経営方針などが指示されている。
雇い主は慰安婦として女性を雇った際、女性は必ず自発的に仕事に就いていなければならないというものです。
>つまり、「白馬事件」とは、日本軍がいかに違法的な「慰安婦」を取り締まっていたのかを証明する事件に他ならないのです。
はあ、【珍説】ご苦労様です。
白馬事件とは別のたくさんの慰安所でも・・・↓
インドネシアの元慰安婦の証言によると、ウエイトレスや事務員、看護婦などの仕事だと言われたり、裁縫をならわせてやるという詐欺の方法で誘いに応じて強姦されたうえで慰安婦にさせられたケース、
警察官や村の役人を通して集めたケースなどがある。日本軍の一斉取締で捕らえられて慰安婦にされたというケースも報告されている。
だまして連れていったケースが多いと見られるが、軍が表に出ずに警官や村の役人を使って集めさせたケースもかなりあると見られる。そこでは強制的に連行したケースもあったようで・・
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper22.htm
>半月には、そのような事実まで補足されてますか?
読めば?
>さらに、国民徴用令は、1941年には韓半島においては発動されてはいません。1944年9月になって、韓半島の住民にも国民徴用令が適用されるようになったのです。この募集の形態は、法や規則ではなく、好意的協力の形態です。
違いますよ。
★朝鮮人強制連行(半月城さんのHPにもある)
http://www.ksyc.jp/kobeport/news01.html
>こんな、事実、半月では記されていますか?
読めば?
なお、【慰安所は国ぐるみ】↓
陸軍は軍医少佐を蘭印( インドネシア) に派遣して衛生状況について視察させ、1941年 7月の陸軍省内の会議で、その軍医が慰安所設置の必要性を主張している。
【しかも村長に割当てるという事実上強制的な「慰安婦」徴集を提案している。】
太平洋戦争開戦後、陸軍省内の局長会議・課長会議では、南方で強姦事件が多発していることが繰り返し報告され議論されていた。そうしたことをふまえて、1942年9 月課長会議において、人事局恩賞課長が「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり。北支 100ケ、中支140 、南支40、南方100 、南海10、樺太10、計 400ケ所」と報告した。
他方、陸軍省は1942年 3月に1942年度の陣中用品の整備計画を立て、その中で年間所要量の 8割として「衛生サック」1530万個を整備することとした。
この数は、外地にいる兵士 1人にほぼ月 1個の割当てになる。現在までに確認された資料によると1942年の一年間に計3210万3700個の「衛生サック」が交付された。
その交付にあたっては、陸軍省経理局建築課が主務課となり、陸軍大臣・次官の委任を受けて、高級副官や経理局長らの決裁を得ておこなわれている。
(どら・・まさに国策)
またこの交付には大本営兵站総監部参謀長( 参謀本部第 1部長が兼務、兵站総監は参謀次長が兼務) や陸軍軍需品本廠長らが関わっている。陸軍省だけでなく、大本営も関わっているのである。
これらの交付の多くは、支那派遣軍・関東軍・南方軍などからの請求に基づいて行われている。「衛生サック」は派遣軍から軍―師団―連隊 と配付され、末端の兵士たちに配給された。
南方では当初は兵站が慰安所開設を担当したが、後には軍政機関が担当したケースが多いようである( マラヤ・フィリピンのケース) 。
【一方、現地部隊による暴力的な「慰安婦」の連行も多く報告されている。】
このように陸軍省の各部局や大本営が「従軍慰安婦」の徴集・管理に関わり、1942年からは直接、慰安所設置に乗り出すのである。
そうした点からも陸軍の中央から末端までの軍ぐるみで「従軍慰安婦」政策が実行されたのである。
3.海軍のケース
海軍に関する資料は少なく、断片的にわかっているだけである。
1942年 5月海軍省軍務局長と兵備局長から南西方面艦隊参謀長に対して「第二次特要員進出に関する件」が出されている。この中で、シンガポールやスラバヤ( ジャワ) など東南アジア 6か所に特要員=「慰安婦」を送ることや慰安所の経営方針などが指示されている。
これは メッセージ 56681 (ahuramazda1945 さん)への返信です.
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