宗教や科学による正当化の崩壊
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/10/14 02:16 投稿番号: [55637 / 118550]
(1) 神による淘汰
(2) 進化論における自然淘汰
もし仮に、アメリカを中心としたその賛同諸国による武力介入によってイラクの大勢の人達を殺してもなお許されるとする考え方を「淘汰」という言葉で表すとすれば、この(1)(2)のどちらかである、と「彼ら」は書いているということが出来ないだろうか・・・。
そして、しかしそれはもはや、少なくとも、進化論における淘汰ではないことは分かった。また、当然神ではないことも自明である。
(イ) 今のところ明かされているであろう進化論では、生物の進化の過程には、明確な「意志」というものではなく、あくまでランダムな突然変異によって、変化し、そして自然淘汰されることで、環境適応したものだけが残ってきたと考えられている。
・・・・これによって、アメリカと言う他国家が、どのような理由があるにせよ、ある(神のような)「意志」という未来的な予測という方向性をもって、「進化論を盾にして」イラクの人間を「自然淘汰」を謳いながら殺戮することは、進化論の考え方とは完全に矛盾するものであり、ある種の疑似科学であり、まったく正当化され得ない。
(ロ) アメリカ人他、多くのキリスト教徒の潜在意識の中には、神(創造主)がこの世を造ったという、いわゆる「創造論」が考え方の根本に入っているように見受けられる。今度のイラクにおいても、多くの敬虔なクリスチャンは、「誰かが悪魔(フセイン)によって支配されていた悪の秩序で成り立っているであろうイラクをまず破壊(ハルマゲドン)して、その混とんの中から構築する(創造する)と言う作業をしなければならない。」と考える。そして、自分たちが武力的に、経済的に有利であるということが、何か自分たちの方がイラクの人達よりも特別な人間であるというような「優越感」(差別意識)があって、まるで自分たちが「神」にでもなったつもりで「イラクの創造」を担いうると考えているのではないだろうか?と感じることがしばしばある。しかし、よくよく考えてみて、『人間として同等である』という大原則の前では、誰も神ではないし、なり得るはずが無いのである。その意味において、例えそれが自分たちの利害と無関係であろうとも、他者を殺すことでなしえることであるのならば、これは自分たちの国内で死刑が行われるときと同じだけのイラクの人達に対する人間としての尊厳を尊重することの慎重さが要求されることは自明のはずである。
・ ・・誰も「神」であり得ない者が、神の代理人など出来るはずが無いのである。この傲り高ぶった勘違い人間集団のアメリカ人は、その自らの傲慢さを今一度振り返って、謙虚に反省するべきである。
※ 多くの場合、ここの武力行使賛成の方々の中には「宗教」や「科学」を歪曲させた意味で自分たちに都合よく利用することによって、今度の武力行使を正当化しようとしている。理系だのなんだのと語るアホどもがそれである。
ここに来ている(ゾンビ)案山子が以前、(イラク介入によって)「自分たちの利益を追求して何が悪い」(大意)と書いたのは、その自らの悪逆非道な無差別殺戮に対して肯定的であり、人間としての倫理観の無さにおいて自覚的であり、馬鹿馬鹿しいほど正直で愚かであると言う点において、まだましなのである。
これに対して、もっとも不思議で気がつきにくいのは、その殺戮行為がこの(偽物の)「科学」や「宗教」というフィルターにかけることによって、本来の悪逆非道な行為が、本質的にまったく正反対の「正義」とか、「大義」という正当性を持ってしまいそれが称賛されうる行為へと「変化」してしまうことの恐ろしさである。
※このことを唱える人間は、意識的にしろ無意識的にしろ、私から見れば極めて確信的であり、自分の内心までをももしかしたらその自らのレトリックによって強固な「正義」として考えているという可能性も考えると、そこのところの彼ら自身の確信犯的な誤解も紐解く必要も感じるし、意図的なすり替えに対しては、他人を苦しめる(殺す)ことによって自己の利益を追う姿を、断じて許すべきではないと、私自身は考える。
(2) 進化論における自然淘汰
もし仮に、アメリカを中心としたその賛同諸国による武力介入によってイラクの大勢の人達を殺してもなお許されるとする考え方を「淘汰」という言葉で表すとすれば、この(1)(2)のどちらかである、と「彼ら」は書いているということが出来ないだろうか・・・。
そして、しかしそれはもはや、少なくとも、進化論における淘汰ではないことは分かった。また、当然神ではないことも自明である。
(イ) 今のところ明かされているであろう進化論では、生物の進化の過程には、明確な「意志」というものではなく、あくまでランダムな突然変異によって、変化し、そして自然淘汰されることで、環境適応したものだけが残ってきたと考えられている。
・・・・これによって、アメリカと言う他国家が、どのような理由があるにせよ、ある(神のような)「意志」という未来的な予測という方向性をもって、「進化論を盾にして」イラクの人間を「自然淘汰」を謳いながら殺戮することは、進化論の考え方とは完全に矛盾するものであり、ある種の疑似科学であり、まったく正当化され得ない。
(ロ) アメリカ人他、多くのキリスト教徒の潜在意識の中には、神(創造主)がこの世を造ったという、いわゆる「創造論」が考え方の根本に入っているように見受けられる。今度のイラクにおいても、多くの敬虔なクリスチャンは、「誰かが悪魔(フセイン)によって支配されていた悪の秩序で成り立っているであろうイラクをまず破壊(ハルマゲドン)して、その混とんの中から構築する(創造する)と言う作業をしなければならない。」と考える。そして、自分たちが武力的に、経済的に有利であるということが、何か自分たちの方がイラクの人達よりも特別な人間であるというような「優越感」(差別意識)があって、まるで自分たちが「神」にでもなったつもりで「イラクの創造」を担いうると考えているのではないだろうか?と感じることがしばしばある。しかし、よくよく考えてみて、『人間として同等である』という大原則の前では、誰も神ではないし、なり得るはずが無いのである。その意味において、例えそれが自分たちの利害と無関係であろうとも、他者を殺すことでなしえることであるのならば、これは自分たちの国内で死刑が行われるときと同じだけのイラクの人達に対する人間としての尊厳を尊重することの慎重さが要求されることは自明のはずである。
・ ・・誰も「神」であり得ない者が、神の代理人など出来るはずが無いのである。この傲り高ぶった勘違い人間集団のアメリカ人は、その自らの傲慢さを今一度振り返って、謙虚に反省するべきである。
※ 多くの場合、ここの武力行使賛成の方々の中には「宗教」や「科学」を歪曲させた意味で自分たちに都合よく利用することによって、今度の武力行使を正当化しようとしている。理系だのなんだのと語るアホどもがそれである。
ここに来ている(ゾンビ)案山子が以前、(イラク介入によって)「自分たちの利益を追求して何が悪い」(大意)と書いたのは、その自らの悪逆非道な無差別殺戮に対して肯定的であり、人間としての倫理観の無さにおいて自覚的であり、馬鹿馬鹿しいほど正直で愚かであると言う点において、まだましなのである。
これに対して、もっとも不思議で気がつきにくいのは、その殺戮行為がこの(偽物の)「科学」や「宗教」というフィルターにかけることによって、本来の悪逆非道な行為が、本質的にまったく正反対の「正義」とか、「大義」という正当性を持ってしまいそれが称賛されうる行為へと「変化」してしまうことの恐ろしさである。
※このことを唱える人間は、意識的にしろ無意識的にしろ、私から見れば極めて確信的であり、自分の内心までをももしかしたらその自らのレトリックによって強固な「正義」として考えているという可能性も考えると、そこのところの彼ら自身の確信犯的な誤解も紐解く必要も感じるし、意図的なすり替えに対しては、他人を苦しめる(殺す)ことによって自己の利益を追う姿を、断じて許すべきではないと、私自身は考える。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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