対イラク武力行使

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横レス>「我が身にひきあてて」

投稿者: venture_2016 投稿日時: 2004/07/23 23:36 投稿番号: [47392 / 118550]
この前、道元禅師が開いた禅寺   永平寺の104歳になる禅師が悟りについて語ってやしたぜ。その人は60歳台に肺結核で生死をさまよったが、その中で「自分は60歳に入院するまで悟りを開いたと思ってた。
しかし、それが間違いだったと気づいた。それまでは、死を恐れないことが悟りだと思っていたが、実は死を前にしても平気で生きることがそれであることに気づいた」って語ってやしたぜ。

要は死ぬべき運命を背負って生まれてきた人間が、どう生きるかが悟りなわけよ(って悟ったことを言ってるけんど)。

  欲に走るのもよかろう、煩悩に身を焦がすのもよかろう。しかし、生きる時間が限られて生まれてきた人間にとって、どんなに欲望を追求してもいずれ死ぬわけだ。それを見据えた上で、いま自分が追求してる欲がどのような価値を持つかを問う姿勢を持ちつづけることが大事だと言ってるわけ。

しかし人間は生まれながらにして業をもち,そこから抜け出せないのが人間よ。人間なんかそれだけの存在なわけ。無用な殺戮をするのも人間の業。己の利益のために他人を殺めても許されると解釈するのも人間の業。それが人間の業なわけ。
だが殺す側も殺される側も、いずれ死ねわけだ。

で、悟りを開いてない凡人に対して、なぜ「南無阿弥陀仏」でも何でもいいが、お経をを唱えよと教えるか?   その業を見据えて、それが限られた寿命しかもたない自分にとってどのような意味をもつか、お経を唱えることで無心になって考えなっていってるわけ(ってのが自論)。
どのような死に方の死を目前にしても平気で生きるよって言ってるっじゃねぇのかな?

それを欲望を無くすことが一つの「悟りへの道」なんて、思ってるようじゃまだ修行がたりねぇな。



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