続き
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/06/06 22:34 投稿番号: [42264 / 118550]
★この表から、
【朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加
にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向】にあることがわかり、
植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。
これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定さ
れました。
その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。
日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢
性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。それに加え、タ
イなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。
こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し
「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億85
00万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石
の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。
朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道
や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしん
りき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さら
に栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しまし
た。
こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、か
の江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考え
をある程度私も認めたいところです。
しかし、事実は残念ながら
【米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消
費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。】
そうした歴史を、数年前の米騒動の時、NHKがTV番組「米に揺れた
日韓近代史」と題して放映していました。
・・・
それによると、農民が秋に米を70俵収穫しても、水利税や肥料代なども
ろもろ差し引かれ手元には2割の15俵くらいしか残らないそうでした。
しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人
は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうで
した。
・・・
このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本
の農家をも苦しめました。安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内
地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の
身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
・・・
【日本の収奪政策のもと、朝鮮農民
は窮乏化していき、わずかばかりの土地を持っていた農家も次第にそれを手放
さざるを得ませんでした。】
その実体を表すのが次の表です。これは米どころの
全羅北道において、土地所有が産米増殖計画による水利組合の設立の前後でど
のように変化したかを示すものです。
・・・
この表からすると、【朝鮮人所有の土地は減っても、逆に日本人の土地は倍
増以上の伸びを示しました。朝鮮全体でみても、1920年から1927年に
かけて日本人の土地所有は25万町歩から40万町歩へと、1.6倍に増大し
ました。】
灌漑施設やインフラなど朝鮮の富は増えても、その恩恵に浴するのは支配
者である日本人であり、それとは対照的に多くの朝鮮農民はやせ細っていった
のが植民地の現実でした。
・・・
宇垣総督が天皇に述べた
朝鮮統治の次の基本方針はなかなか味わい深いものがあります。
「その二は、朝鮮人に適度にパンを与うることであります。
【朝鮮の富は併合
以来非常に増加していますけれども、朝鮮の富が増加している割合には朝鮮人
の富は増設致しておりません。今日なお生活苦に呻吟しておるものが相当多数
存在致しております」】
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187
>ついでに言わせてもらうと「ベトナム戦争で、コリアンは【戦争特需】で大いに潤い、朝鮮戦戦争後の復興の手がかりをつかんだ・・・いわばベトナムの生き血をすすって繁栄した」という件についてはどう思われますか。
へえ、どのくらい儲かったの?
しかしこれはベトナムと韓国間の問題だね。
>abelardさん全くあな\xA4
【朝鮮人の米消費量は年々減る一方で、逆に日本人は人口増加
にもかかわらず朝鮮米輸入のおかげで僅かずつ増加傾向】にあることがわかり、
植民地経営の恩恵に浴しているのが歴然としているのではないかと思います。
これからもうかがえるように、植民地の政策はほとんど日本内地本位で決定さ
れました。
その典型的な例が1920年、朝鮮での「産米増殖計画」でした。
日本内地では1918年の米騒動や、1923年の関東大震災など米が慢
性的に不足し、米価の値上がりが社会不安になっていました。それに加え、タ
イなどからの米の輸入は貿易収支の悪化を招きました。
こうした事態を打開する政策として、朝鮮での産米増殖計画を本格化し
「更新産米増殖計画」として、1925年から10カ年計画で資本金2億85
00万円を投下し約30万町歩の土地改良を行い、農事改良により800万石
の米を増産するというプロジェクトにとりかかりました。
朝鮮総督府は巨費を投じ、ダムや灌漑設備をつくったり、輸送用の鉄道
や港湾などインフラの整備を始めました。また米の品種も、早神力(わせしん
りき)など日本人好みのものを奨励し、あわせて化学肥料を勧めました。さら
に栽培技術も「正条植え」による田植えなどを巡査を動員してまで指導しまし
た。
こうした努力の結果が、朝鮮の春窮・絶糧農家を救ったのであれば、か
の江藤元長官の問題発言「日本は植民地に少しは良いこともした」という考え
をある程度私も認めたいところです。
しかし、事実は残念ながら
【米の生産量は増えても朝鮮人一人当たりの消
費量は逆に減り、「飢餓輸出」の現実が朝鮮農民を苦しめました。】
そうした歴史を、数年前の米騒動の時、NHKがTV番組「米に揺れた
日韓近代史」と題して放映していました。
・・・
それによると、農民が秋に米を70俵収穫しても、水利税や肥料代なども
ろもろ差し引かれ手元には2割の15俵くらいしか残らないそうでした。
しかも、これはかなりましな方で日本人の金融組合などに借金のある人
は高利のかたにお米をとられ、手元にはせいぜい2、3俵しか残らないそうで
した。
・・・
このように、朝鮮の農民を苦しめた「産米増殖計画」は勢い余って日本
の農家をも苦しめました。安くてしかも品質の向上した朝鮮米の大量導入は内
地米の暴落を引き起こし、これに世界的な恐慌が重なり農村では深刻な「娘の
身売り」や、はては新たな植民政策「満蒙開拓団」を生み出しました。
・・・
【日本の収奪政策のもと、朝鮮農民
は窮乏化していき、わずかばかりの土地を持っていた農家も次第にそれを手放
さざるを得ませんでした。】
その実体を表すのが次の表です。これは米どころの
全羅北道において、土地所有が産米増殖計画による水利組合の設立の前後でど
のように変化したかを示すものです。
・・・
この表からすると、【朝鮮人所有の土地は減っても、逆に日本人の土地は倍
増以上の伸びを示しました。朝鮮全体でみても、1920年から1927年に
かけて日本人の土地所有は25万町歩から40万町歩へと、1.6倍に増大し
ました。】
灌漑施設やインフラなど朝鮮の富は増えても、その恩恵に浴するのは支配
者である日本人であり、それとは対照的に多くの朝鮮農民はやせ細っていった
のが植民地の現実でした。
・・・
宇垣総督が天皇に述べた
朝鮮統治の次の基本方針はなかなか味わい深いものがあります。
「その二は、朝鮮人に適度にパンを与うることであります。
【朝鮮の富は併合
以来非常に増加していますけれども、朝鮮の富が増加している割合には朝鮮人
の富は増設致しておりません。今日なお生活苦に呻吟しておるものが相当多数
存在致しております」】
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187
>ついでに言わせてもらうと「ベトナム戦争で、コリアンは【戦争特需】で大いに潤い、朝鮮戦戦争後の復興の手がかりをつかんだ・・・いわばベトナムの生き血をすすって繁栄した」という件についてはどう思われますか。
へえ、どのくらい儲かったの?
しかしこれはベトナムと韓国間の問題だね。
>abelardさん全くあな\xA4
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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