反吐が出そうな書き込み二人目
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/06/06 13:42 投稿番号: [42190 / 118550]
聡明なクメールさんはもう分っておられると思いますが、応援の意志を表すという意味で、書き込みました。
このかかしという人間のバカさ加減をもっと深く追求して下さい。
非常に簡潔に書かれたものが見つかりました。知らない人の参考のために・・。
※このいきさつを悲劇、可哀想と同情しないで、「自業自得」だとは良くもまあ言えたものです。
http://www.nes-lab.com/growup/jerusalem.html
イギリスは、第1次世界大戦中、トルコと戦うために、ユダヤ人の助けを必要とし、1917年、バルフォア宣言を行い、ユダヤ人が、パレスチナの地に、自分たちの国を建設できることを約束し、これに基づいて、ユダヤ人のパレスチナ移住が、始まりました。 しかし、イギリスは、同時に、トルコとの戦いを、有利にするために、トルコ領内のアラブ人の助けももとめ、1915年に、アラブの指導者、フセインとの間に、フセイン・マクマホン協定を結び、アラブ人がトルコから独立して、パレスチナなどの西アジアに、パレスチナ国家を建国することを、承認する二重の約束をしました。 第1次世界大戦で、トルコが破れると、パレスチナは、イギリスの委任統治となり、ユダヤ人とパレスチナ人のあいだに、暴動やテロが続発しました。 1937年、イギリスは、パレスチナを、ユダヤ人とアラブ人の国に分割する提案を、行いましたが、アラブ側は拒否しました。しかし、第2次世界大戦中に、ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害が強くなり、多くのユダヤ人が、パレスチナに移り住みました。そして、ナチス・ドイツの残忍なユダヤ民族の抹殺計画により、数百万のユダヤ人が、ホロコーストされたため、ユダヤ国家の必要性が、強く世界中にアピールされました。
1945年、世界シオニスト会議が開かれ、難民を主とした、ユダヤ人100万人の国家建設の要求が出され、1947年、国際連合は、パレスチナの地に、ユダヤ人の独立国家とアラブ人のアラブ国家をつくる分割案を可決しました。これにより、イギリスの委任統治の切れた翌年の、1948年5月14日、長い間、シオニズム運動の中心的指導者であった、ダビッド・ベングリオンは、イスラエルの建国を宣言し、シオニズム運動の指導者、ハイム・ワイツマン(1874〜1952年)は、初代大統領に就任しました。 これに対して、アラブ諸国は、反対行動を起こし、パレスチナに侵入したため、第1次中東戦争が勃発しました。 1949年、休戦条約が結ばれましたが、アラブ諸国は、イスラエルそのものの存在を認めず、1956年、第2次中東戦争(スエズ戦争)が起こりました。その後、1967年に、第3次中東戦争(6日間戦争)がおこり、この時、イスラエルは、それまでのシリアのゴラン高原や、シナイ半島の占領地の他、ヨルダン川西岸とガザ地区も占領しました。また、1973年に、第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)がおきました。 こののち、1976年、国連総会において、イスラエルやアメリカ、イギリスの反対が押し切られ、パレスチナ国家建設案が決議されました。
このかかしという人間のバカさ加減をもっと深く追求して下さい。
非常に簡潔に書かれたものが見つかりました。知らない人の参考のために・・。
※このいきさつを悲劇、可哀想と同情しないで、「自業自得」だとは良くもまあ言えたものです。
http://www.nes-lab.com/growup/jerusalem.html
イギリスは、第1次世界大戦中、トルコと戦うために、ユダヤ人の助けを必要とし、1917年、バルフォア宣言を行い、ユダヤ人が、パレスチナの地に、自分たちの国を建設できることを約束し、これに基づいて、ユダヤ人のパレスチナ移住が、始まりました。 しかし、イギリスは、同時に、トルコとの戦いを、有利にするために、トルコ領内のアラブ人の助けももとめ、1915年に、アラブの指導者、フセインとの間に、フセイン・マクマホン協定を結び、アラブ人がトルコから独立して、パレスチナなどの西アジアに、パレスチナ国家を建国することを、承認する二重の約束をしました。 第1次世界大戦で、トルコが破れると、パレスチナは、イギリスの委任統治となり、ユダヤ人とパレスチナ人のあいだに、暴動やテロが続発しました。 1937年、イギリスは、パレスチナを、ユダヤ人とアラブ人の国に分割する提案を、行いましたが、アラブ側は拒否しました。しかし、第2次世界大戦中に、ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害が強くなり、多くのユダヤ人が、パレスチナに移り住みました。そして、ナチス・ドイツの残忍なユダヤ民族の抹殺計画により、数百万のユダヤ人が、ホロコーストされたため、ユダヤ国家の必要性が、強く世界中にアピールされました。
1945年、世界シオニスト会議が開かれ、難民を主とした、ユダヤ人100万人の国家建設の要求が出され、1947年、国際連合は、パレスチナの地に、ユダヤ人の独立国家とアラブ人のアラブ国家をつくる分割案を可決しました。これにより、イギリスの委任統治の切れた翌年の、1948年5月14日、長い間、シオニズム運動の中心的指導者であった、ダビッド・ベングリオンは、イスラエルの建国を宣言し、シオニズム運動の指導者、ハイム・ワイツマン(1874〜1952年)は、初代大統領に就任しました。 これに対して、アラブ諸国は、反対行動を起こし、パレスチナに侵入したため、第1次中東戦争が勃発しました。 1949年、休戦条約が結ばれましたが、アラブ諸国は、イスラエルそのものの存在を認めず、1956年、第2次中東戦争(スエズ戦争)が起こりました。その後、1967年に、第3次中東戦争(6日間戦争)がおこり、この時、イスラエルは、それまでのシリアのゴラン高原や、シナイ半島の占領地の他、ヨルダン川西岸とガザ地区も占領しました。また、1973年に、第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)がおきました。 こののち、1976年、国連総会において、イスラエルやアメリカ、イギリスの反対が押し切られ、パレスチナ国家建設案が決議されました。
これは メッセージ 42185 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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