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>皇室へのあこがれ

投稿者: venture_2016 投稿日時: 2004/03/14 14:01 投稿番号: [34012 / 118550]
皇室へのあこがれは、人間としての根幹にかかわる感情だと思いますが。

日本人は本音と建前を使い分けることが取り分け上手な国民です。たとえば、初詣やクリスマスでも神を信じて行う日本人はいないと言ってよい。
では、現在の天皇とは何か。日本人の「建前の象徴」である。歴史的に天皇が日本国の創始者としての歴史上の価値と政治力が一致した「本音と建前の一致」の時代には,国民は精神的に逃げ込むべき拠り所をもたなかった。しかし,武士が天皇を建前として祭り上げ,実権を奪ったことによって、武士同士の争いは増えたかもしれないが、武士同士が対等になり、戦国時代を経て徳川の泰平の世が実現できた。徳川は服従すべき相手ではなく、天皇からまつりごとを任命された一大名に過ぎないことから、諸国の大名は徳川にしぶしぶ従ったわけであって、天皇がフランスの王制と同様に絶対的な権力と武力をもって全国を平定しようとしたら、到底、実現できなかった違いない。徳川幕府の大名制という地方分権統治は、天皇とゆう建前があり、徳川が自分らと同じ武士の立場であり、いつでも取って代わることができたからこそ、諸国の大名はしたがったといえる。明治政府も同様に、本音としての実権は薩長が握ったとしても、建前が必要であったことから天皇を担ぎ出したのであって、天皇こそいい迷惑であったに違いない。戦後、現人神から人間宣言をし、何の実権も持たない「象徴天皇」に戻ったことはは、本来の建前としての天皇に戻ったにすぎない。日本人が戦犯としての天皇を断罪しないのは、建前としての天皇を日本人が必要としているからであって、それを奪うことは日本人から神を奪うことに等しいから、マッカーサーもできなかった。
国民が皇室に憧れを感じるのは、建前として日本の伝統と歴史を体現した象徴、敬虔な気持ちになれる象徴だからであって、神社・仏閣で本音はともかく、敬虔な気持ちになるのと同様、日本国民であることを敬虔に再認識できるからである。先祖の墓碑で、自分の家系に思いを寄せる行為に近い。
ひるがえって、建前をもたない本音だけの米国はどうか?天皇の役割をするものは、宗教であり国旗になる。大統領ですら条件とチャンスがあればなれる存在にすぎない。すると、唯一、天が与えた才能(タレント)のみを信じて、生存競争に明け暮れることになる。
日本人は、皇室・天皇を見ることで、自分が日本の歴史の中に生きる一人の人間であること、日本の歴史の重みを実感し、日本人同士が平穏に暮らすことに喜びを見出し、自分の役割を果たそうとする。もちろん、どちらが幸せかは言えないが、前者に喜びを見出す。
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