歴史における個人
投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2004/03/04 17:50 投稿番号: [33554 / 118550]
このトピの、日本の過去に関する最近の投稿を読んでいるとどうもよく理解できないことがある。日本の歴史を悪し様に言うのもいいだろう。でも、多くの人は間違っていたと考えているのだ。だからこそ、イラク武力行使にも反対している意見が多い。もし過去の歴史が間違っていたのなら、どこが間違っていて、これからはこうすればいいとか、こうなればいいという、というふうに俺は考える。歴史から学ぶということは、そういうことじゃないんだろうか。現実にはそうなっていないことが多いとしても、さまざまな状況で時間が必要ってことだってある。個人でできることなど、たかが知れている。けっこう強硬な意見を書いているであろう俺でさえ、仕事の世界でこの手のことを話すことは滅多にない。もしその覚悟をしたなら、会社を辞める覚悟も必要だろう。一般論に逃げているように聞こえるかもしれないが、人間なんてそんなもんだと思う。
だから、特攻隊で死んでいった若者たちには、何てこったって思う。こんな自殺みたいな行為を美化してやらせた奴は責任取ったのかと思う。しかし、死んでいった若者を責めることはできない。俺が知る限りのそのときの状況でだが、他に彼らの選択肢を思い浮かばないのだ。逃げるか?拒否するか?そうしたら、肉親はどうなる?「天皇万歳!」とか言ったのも、彼女のこと、母親、父親のことを思い浮かべた奴もいるだろう。しかし、どんな形であれ、彼らの残したモノに共感するなら、それはそのまま受け止めるしかない、と俺は思う。歴史の中でどんな評価を受けようが、それがあのときの状況における彼らの選択だったんだから。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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