対イラク武力行使

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インドネシア歴史探訪-日本の軍政

投稿者: ben_kenobi03 投稿日時: 2004/02/26 09:57 投稿番号: [32863 / 118550]
ジャワを占領した日本陸軍第16軍はさっそくスカルノやハッタらを解放し、将来の独立の約束と引き替えに日本軍政への協力を取り付けました。
  同時にインドネシア民衆の歓心を買うため、さまざまな懐柔策が採られました。
「オランダ領東インド」は待望の「インドネシア」に、「バタヴィア」は「ジャカルタ」に改称されました。
  また、オランダ人を全員収容所へ送り、代わりにインドネシア人を役所や企業でかなり高い地位につけたので、彼らの社会進出が飛躍的に進みました。
  さらに、公用語をオランダ語からインドネシア語に改めたことは、インドネシア語を共通語として全国に普及させる上で計り知れないプラスとなりました。

  しかし国歌と国旗掲揚は間もなく禁止になり、「皇紀」「昭和」という元号が導入され、学校では日本語のほか「修身」なども教えられました。天皇崇拝は強化され、皇居に向かって最敬礼させる「宮城遙拝」も強要されましたが、これらは一神教のイスラム教徒には耐え難いものでした。
  その一方、「トナリグミ(隣組)」「フジンカイ(婦人会)」「セイネンダン(青年団)」「ケイボウダン(警防団)」など様々な団体が作られ、動員と統制の訓練が行われたことは、オランダの分割統治によって「ルーズな」構造になっていたインドネシア社会に組織原理を持ち込み、刺激を与えました。
  さらに重要なのは、オランダが決して行わなかった軍事教練も開始したことです。最初は日本軍内の補助兵力「ヘイホ(兵補)」が養成され、のちには郷土防衛義勇軍のような大規模な兵力も組織されます。

  しかしながら、オランダが築いた中央集権的国家機構は陸軍と海軍の分割占領によってずたずたにされ、経済もオランダの輸出入市場と切り離されたため崩壊、インフレ率は3年半の軍政で4000%に達しました。
  にも関わらず軍政当局は米の生産量の3〜5割を強制的に徴用したので、人々は生活苦にあえぎました。
  加えて、随時「ロームシャ(労務者)」が徴発され、日本軍のために強制労働させられました。その数は約30万に及びましたが、終戦時に生き残っていたのはわずか7万人だったと言われます。

  スカルノやハッタは日本がなかなか具体的な独立の青写真を示してくれないので不満を募らせてゆきました。
  1943年後半、戦局が厳しさを増すと、日本はようやく重い腰を上げます。
  まずインドネシア国民軍設立の要望に応え、「郷土防衛義勇軍(ペタ)」を結成します。ここには大団(500人)以上の機構はなく、参謀も養成されず、実際には日本軍の補助兵力に過ぎませんでしたが、翌44年11月に3万5000人に達したこの第一線の戦闘部隊は、のちにインドネシア国軍の中核を形成するのです。

★日本の占領は、占領地の経済システムを破壊し飢餓をもたらした。
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