>強姦軍隊(加害者との和解など)
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2004/02/25 19:50 投稿番号: [32828 / 118550]
konnzatu_tsさん、どうも。
>前に一度、この板にのせたと思うけど再掲載しますね。日本軍の本質を。それと中国人>」の寛大さを合わせ見れるとおもいます。南方戦線だったら全員B・C級戦犯として刑>場の露になっていたことでしょう。
映画『日本鬼子』はお客は少なかったし、『南京1937』などは厳戒態勢での鑑賞。まったく日本低国の現状は・・・。
松井稔が『中帰連』(17号/2001夏)に書いている。
【やはり残念でくやしいのは肝心の日本人の無関心である。日本を知らない日本人が増えている。その歴史的知識の貧しさと認識能力の低さには唖然とする。これは自国の歴史を検証し、認識することを誤魔化し続けてきた戦後民主主義の結果である。日本人はあの戦争から何を学んだというのか。個人を尊重せず、集団に過剰におもねる若者たちの現状に戦慄を覚える。「これでいいのか、日本人!」
愚劣なまでに知る努力を怠っている日本人に、執拗にこの映画を突きつけていきたい。知らないことは、未来に対する罪悪である。】
以前にも書いたが、ドラマ『白い巨塔』ではアウシュビッツのロケを敢行した。医者と人体事件を扱うならば当然731部隊を扱えばいいわけで、その見事な処世術に呆れるばかりだ。ナチスの悪行は数え切れないくらいの映画化で、多くの人がそれを知っているが、ヒロヒトラー教祖のもとでの日本軍の悪行がなぜほとんど映画化されないのか、わたしには不思議でならない。もし中国にロスチャイルド財閥のようなものがあれば、それはもう莫大な数の映画が公開されたであろうが、ヒロヒトには運良く、岸信介には運良く、安部晋三にも運良く、小泉純一郎にも運良く、日本の庶民にはまことに運悪く、中国にはそんな財閥はなかった。
わたしの知る限り(注:そんなに映画は見ない)、皇軍の蛮行が描かれるのは『赤いコーリャン』とか『鬼が来た』ぐらいか・・・。
ビデオ『天皇の名のもとに』にはマギー牧師の撮ったビデオがあり、南京の少女達がトラックに積み込まれ運ばれていく。少女たちは「助けて!」と叫んでいる。もうすぐ日本兵に強かんされるのだ。・・・
そうした救いようない加害者と被害者が後にどういう遭遇をしたか、以下を見て欲しい。
『戦争と罪責』野田正彰(岩波書店)より
<管理所員の葛藤>
他方、「思想改造」の工作に当っていた呉浩然はどんな思いでいたのだろう。撫順管理所で日本人戦犯を担当したほとんどの指導員は、日本語のできる朝鮮族だった。呉浩然も吉林省敦化出身の朝鮮族。小学生のとき、日本語を学習させられている。日本軍が敗れた45年の年末、革命軍に参加している。思想改造の責任者として、仕事の意義は理解していたが、感情は複雑であった。彼は『覚醒』に書いている。
「戦犯たちの様々な謬論と怪気焔に対して、私たち工作員は誰もが大いに立腹していた。多くの工作員は、偽満州国当時、日本侵略から迫害され虐待を受けたし、何人かの同志は家族や肉親を殺害されていた。私の父と叔父は日本植民統治下の監獄の中で、ひどい虐待を受けて獄死した。
看守員の王興はもっと酷い目に会っている。彼の家は熱河省承徳の万里の長城の側で、抗日遊撃地域にあった。日本軍の第一次大掃討作戦中、彼の家族8人のうち7人が殺され、僅かに彼1人だけが血の海から生き延びることができた。王興は伯父の家で成長した後、中国人民解放軍に参加して小隊長になった。
1950年7月、組織は彼を撫順戦犯管理所の工作員に転属させた。彼はそのことを非常に喜んだ。ここで工作したら、昔のあの残虐な日本侵略者を処罰でき、国家と家族の仇が討てる。彼は管理所に来て日本戦犯が頑固で管理教育を受けようとせず、気勢を上げて管理教育の工作員を侮辱したり、罵倒する様子を見て、腹を立て、思う存分殴りつけてやろうと思った。しかし、当時上級機関から、収監中の戦犯を『殴ったり罵ってはいけない』『人格を尊重せよ』と厳重に指示されていた。
王興は日本軍の大掃討のとき、全村火の海にされ、家族全員が突き刺され命を奪われた情景を思い出し、どうしても納得できないで、ベッドに伏して布団をかぶり泣き悶えた」
呉浩然はあえて王興看守について語っているが、それは幹部として怒りを表出できない自分の思いを託したものであろう。布団をかぶって泣いたのは、呉浩然指導員その人であったかもしれない。王興看守だけでなく、家族が強姦され殺されるのを、物陰に隠れて見守っていた少年少女が何人かいた。成長して解放軍に入り、撫順管理所に配属され、そこで忘れもしない殺害者その男に会った者もいたのである。
>前に一度、この板にのせたと思うけど再掲載しますね。日本軍の本質を。それと中国人>」の寛大さを合わせ見れるとおもいます。南方戦線だったら全員B・C級戦犯として刑>場の露になっていたことでしょう。
映画『日本鬼子』はお客は少なかったし、『南京1937』などは厳戒態勢での鑑賞。まったく日本低国の現状は・・・。
松井稔が『中帰連』(17号/2001夏)に書いている。
【やはり残念でくやしいのは肝心の日本人の無関心である。日本を知らない日本人が増えている。その歴史的知識の貧しさと認識能力の低さには唖然とする。これは自国の歴史を検証し、認識することを誤魔化し続けてきた戦後民主主義の結果である。日本人はあの戦争から何を学んだというのか。個人を尊重せず、集団に過剰におもねる若者たちの現状に戦慄を覚える。「これでいいのか、日本人!」
愚劣なまでに知る努力を怠っている日本人に、執拗にこの映画を突きつけていきたい。知らないことは、未来に対する罪悪である。】
以前にも書いたが、ドラマ『白い巨塔』ではアウシュビッツのロケを敢行した。医者と人体事件を扱うならば当然731部隊を扱えばいいわけで、その見事な処世術に呆れるばかりだ。ナチスの悪行は数え切れないくらいの映画化で、多くの人がそれを知っているが、ヒロヒトラー教祖のもとでの日本軍の悪行がなぜほとんど映画化されないのか、わたしには不思議でならない。もし中国にロスチャイルド財閥のようなものがあれば、それはもう莫大な数の映画が公開されたであろうが、ヒロヒトには運良く、岸信介には運良く、安部晋三にも運良く、小泉純一郎にも運良く、日本の庶民にはまことに運悪く、中国にはそんな財閥はなかった。
わたしの知る限り(注:そんなに映画は見ない)、皇軍の蛮行が描かれるのは『赤いコーリャン』とか『鬼が来た』ぐらいか・・・。
ビデオ『天皇の名のもとに』にはマギー牧師の撮ったビデオがあり、南京の少女達がトラックに積み込まれ運ばれていく。少女たちは「助けて!」と叫んでいる。もうすぐ日本兵に強かんされるのだ。・・・
そうした救いようない加害者と被害者が後にどういう遭遇をしたか、以下を見て欲しい。
『戦争と罪責』野田正彰(岩波書店)より
<管理所員の葛藤>
他方、「思想改造」の工作に当っていた呉浩然はどんな思いでいたのだろう。撫順管理所で日本人戦犯を担当したほとんどの指導員は、日本語のできる朝鮮族だった。呉浩然も吉林省敦化出身の朝鮮族。小学生のとき、日本語を学習させられている。日本軍が敗れた45年の年末、革命軍に参加している。思想改造の責任者として、仕事の意義は理解していたが、感情は複雑であった。彼は『覚醒』に書いている。
「戦犯たちの様々な謬論と怪気焔に対して、私たち工作員は誰もが大いに立腹していた。多くの工作員は、偽満州国当時、日本侵略から迫害され虐待を受けたし、何人かの同志は家族や肉親を殺害されていた。私の父と叔父は日本植民統治下の監獄の中で、ひどい虐待を受けて獄死した。
看守員の王興はもっと酷い目に会っている。彼の家は熱河省承徳の万里の長城の側で、抗日遊撃地域にあった。日本軍の第一次大掃討作戦中、彼の家族8人のうち7人が殺され、僅かに彼1人だけが血の海から生き延びることができた。王興は伯父の家で成長した後、中国人民解放軍に参加して小隊長になった。
1950年7月、組織は彼を撫順戦犯管理所の工作員に転属させた。彼はそのことを非常に喜んだ。ここで工作したら、昔のあの残虐な日本侵略者を処罰でき、国家と家族の仇が討てる。彼は管理所に来て日本戦犯が頑固で管理教育を受けようとせず、気勢を上げて管理教育の工作員を侮辱したり、罵倒する様子を見て、腹を立て、思う存分殴りつけてやろうと思った。しかし、当時上級機関から、収監中の戦犯を『殴ったり罵ってはいけない』『人格を尊重せよ』と厳重に指示されていた。
王興は日本軍の大掃討のとき、全村火の海にされ、家族全員が突き刺され命を奪われた情景を思い出し、どうしても納得できないで、ベッドに伏して布団をかぶり泣き悶えた」
呉浩然はあえて王興看守について語っているが、それは幹部として怒りを表出できない自分の思いを託したものであろう。布団をかぶって泣いたのは、呉浩然指導員その人であったかもしれない。王興看守だけでなく、家族が強姦され殺されるのを、物陰に隠れて見守っていた少年少女が何人かいた。成長して解放軍に入り、撫順管理所に配属され、そこで忘れもしない殺害者その男に会った者もいたのである。
これは メッセージ 32780 (konnzatu_ts さん)への返信です.
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