>敵か味方か、という世界観
投稿者: whitered2530 投稿日時: 2004/01/26 20:25 投稿番号: [31037 / 118550]
>保守派の体質として、革新的というか、変化や新しい志向を恐れる傾向があるとも思いますが、いかがでしょうか?
日本人は、皮肉にも普段はもっぱら“あいまい”をモットーにしているかに見えながら、いざ、何か事が起これば、あっという間に、白・黒、敵・味方、の2者択一に分けたがる、無意識の思考傾向が染み込んでいるようです。
私はこれまで、自分の考えを素直に述べてきたつもりなんですが、それが、どうもこうした傾向の人々には異質な感じを与えるらしく、いわゆる反米派でもなければ、さりとて、親米派でもない、、けったいな存在、と思われていたかもしれません。
なぜか、私はどんなに尊敬する人に対してでも、あれ? そうかなあ・・?とか、
感じる事があって、そうした場合、多分多数派である“2者択一派”は、あまり疑問を呈したりしないで、触れないようにしている気配を感じるんですね。
この感覚は、どうも、考え方も一つの形式にあわせて、秩序付けたい、、、との思いを感じてしまうんですね。
その辺に大いなる疑問を感じつづけてきた私でした。
ですから、是々非々になるんですが、そうするべき、との意識ではなくて、ごく正直に素直な意見を言おう、とすると、どうしてもそうなる、と言う事なんです、私的には。
日本人はあまりにも、何事も秩序正しい事が好きな民族なんですね、きっと。きれい好きで、きちんとしている事が好きなせいかくなんですね、まじめすぎるというか。
何もかもが、あまりにも型にはまりすぎている、歌舞伎役者のように。
みんな同じ金太郎飴でいる事に、大いなる満足感を感じる傾向が強すぎるんですね。
これを私は集団主義と言っているんですが、これが個人をつぶして、せっかく伸びる芽を摘み取っている。多種多様な価値観の成熟をむりやり押さえつけて、閉じ込めている。
これでは、日本の発展を自ら否定しているようなものだ、と常々感じていました。
年齢、性別による差別も強く、合理主義を中々取り入れられないでいる、のが現状ではないか、と思います。
だから、日本人はまだまだ、頭にちょんまげ、なんですね。
英語が苦手なくせに、カタカナ英語を乱発したがるのも、すごくきになりますね。
分からない人がいる事を予め想定しながら、あるいは無意識に、連発するのは
自分の言葉を理解して欲しい、と言う意志も熱意も無い事を表している。
日本の昔のエリートはわざとではないか、と思うほど、難しい表現をして、読み手の気持ちを一切無視したような文章を、得意げに書いていた、傾向があるのではないか?私のかってなひがみだろうか?
難しい事をもって、よしとするような感覚があったのではないか?
一方、庶民の方はといえば、逆に現実には分かる事でも、分からない振りをしてまで
愚かな態度をとって、善人である振りをしていた気配もある。
つまり、そこには、上の人は何でも知っている頭のいい人であり、したの人は何も知らない単純おばかである、、という
2つの型、を秩序付けて考えていた、どちらも現実の自分を殺して、一定の型にあわせて生きてきた、、と思う。
日本人は、皮肉にも普段はもっぱら“あいまい”をモットーにしているかに見えながら、いざ、何か事が起これば、あっという間に、白・黒、敵・味方、の2者択一に分けたがる、無意識の思考傾向が染み込んでいるようです。
私はこれまで、自分の考えを素直に述べてきたつもりなんですが、それが、どうもこうした傾向の人々には異質な感じを与えるらしく、いわゆる反米派でもなければ、さりとて、親米派でもない、、けったいな存在、と思われていたかもしれません。
なぜか、私はどんなに尊敬する人に対してでも、あれ? そうかなあ・・?とか、
感じる事があって、そうした場合、多分多数派である“2者択一派”は、あまり疑問を呈したりしないで、触れないようにしている気配を感じるんですね。
この感覚は、どうも、考え方も一つの形式にあわせて、秩序付けたい、、、との思いを感じてしまうんですね。
その辺に大いなる疑問を感じつづけてきた私でした。
ですから、是々非々になるんですが、そうするべき、との意識ではなくて、ごく正直に素直な意見を言おう、とすると、どうしてもそうなる、と言う事なんです、私的には。
日本人はあまりにも、何事も秩序正しい事が好きな民族なんですね、きっと。きれい好きで、きちんとしている事が好きなせいかくなんですね、まじめすぎるというか。
何もかもが、あまりにも型にはまりすぎている、歌舞伎役者のように。
みんな同じ金太郎飴でいる事に、大いなる満足感を感じる傾向が強すぎるんですね。
これを私は集団主義と言っているんですが、これが個人をつぶして、せっかく伸びる芽を摘み取っている。多種多様な価値観の成熟をむりやり押さえつけて、閉じ込めている。
これでは、日本の発展を自ら否定しているようなものだ、と常々感じていました。
年齢、性別による差別も強く、合理主義を中々取り入れられないでいる、のが現状ではないか、と思います。
だから、日本人はまだまだ、頭にちょんまげ、なんですね。
英語が苦手なくせに、カタカナ英語を乱発したがるのも、すごくきになりますね。
分からない人がいる事を予め想定しながら、あるいは無意識に、連発するのは
自分の言葉を理解して欲しい、と言う意志も熱意も無い事を表している。
日本の昔のエリートはわざとではないか、と思うほど、難しい表現をして、読み手の気持ちを一切無視したような文章を、得意げに書いていた、傾向があるのではないか?私のかってなひがみだろうか?
難しい事をもって、よしとするような感覚があったのではないか?
一方、庶民の方はといえば、逆に現実には分かる事でも、分からない振りをしてまで
愚かな態度をとって、善人である振りをしていた気配もある。
つまり、そこには、上の人は何でも知っている頭のいい人であり、したの人は何も知らない単純おばかである、、という
2つの型、を秩序付けて考えていた、どちらも現実の自分を殺して、一定の型にあわせて生きてきた、、と思う。
これは メッセージ 31002 (oriharconball さん)への返信です.
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