>「人間の尊厳」の問題の難しさ
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/01/14 12:53 投稿番号: [30149 / 118550]
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つまりここでは、世界中の物資援助が、彼らをより無気力にしていたのですね。
>>
曽野綾子さんもパレスチナなどを見るとき、難民業のようなものが形成されてしまっている、と言っているように、人間の尊厳問題はもっと、突っ込んで考えて、議論していかないといけない問題ですね。
それ以上に、内政干渉と人間の尊厳の問題がありますね。
例えば、北朝鮮などがその問題を今、私たちに突きつけていると思う。
これは、ちょっと身近な家庭内暴力の問題と人権問題に似ていると思う。
内政干渉をしない、というのが、元々価値観の違う者が、干渉し合ったら紛争の解決ができない。また、この内政不干渉の精神の中には、個人の魂の自由を認め合うという望ましい理念が入っている。
ところがこの内政不干渉が、時には恐ろし人権侵害、人間の尊厳を犯す事態が出現する。理想とする理念の明るさに反比例するように酷い。
国家の不手際によって飢餓に瀕している人たちがいる。強制収容所などで迫害を受けている人たちがいる。人間の尊厳を奪われている人たちがいる。
だが、内政不干渉で手がだせない。この人たちは個人の魂の尊厳という理念のために二重の迫害を受ける結果になっているんですね。救出される権利を奪われてしまっている。
これは、家庭内暴力、家庭内虐待問題などでも、長い間放置され、犠牲者が出ている問題と同じです。家庭内の問題には干渉しない、という法律が二重に被害者を苦しめてきました。本当の弱者には、救いの手は届かないか、という問題です。
本来、自分を守ってくれる。自由と人間の尊厳を与えてくれるはずの人が人間の尊厳を奪う。
家庭内の問題には、立ち入らない。個人の生き方の自由を尊重する。健全に営まれているケースでは理想です。また、大部分の家庭はそのベースで営まれている。
だが例外がある。親の虐待で命を落とす子供がいる。守ってくれるべき夫に虐待されている妻がいる。だが放置されていましたね。家庭問題には干渉しない、という三字麗句を隠れ蓑に…。
家庭内問題に干渉しないということより、人間の尊厳の方が重いのではないか、という風潮が生まれて、家庭内暴力問題に行政や第三者が関与できるようになってきたのは、ごく最近です。だが、この狭間での犠牲者を無くすには、遠い現実があり、何もかもが試行錯誤の状態です。
これは国際政治でも同じ問題が起きている。例外的にしろ、国民を虐待している国家がある。人間の尊厳を奪ってしまっている国家がある。
ここで、人間の尊厳の問題と内政不干渉の問題が対立するんですね。本来はどっちも、明るく好ましいもののはずの理念の犠牲者が出てしまっている。
強制収容所など、追い詰められた独裁者などが作るわけですが、放置できない人権問題を含んでいる。だが、この独裁者を改心させるのは絶望に近い。
こんなとき、やはり武力しかないのか、と悪魔がささやき始めるんですね。この悪魔のささやきとどう付き合っていくのか、それが、北朝鮮問題であり、個人的には人間性を根本から問われる問題になって迫ってきます。
拉致被害者や圧政に苦しむ人たちの救出には、武力行使を否定していては、何もできないのか、と。だが、人間の尊厳を犯される問題に関しては、他国であろうと自国であろうと人類共通の問題、いつかは自分に帰ってくる問題として、無関心でいる訳にはいかない。
つまりここでは、世界中の物資援助が、彼らをより無気力にしていたのですね。
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曽野綾子さんもパレスチナなどを見るとき、難民業のようなものが形成されてしまっている、と言っているように、人間の尊厳問題はもっと、突っ込んで考えて、議論していかないといけない問題ですね。
それ以上に、内政干渉と人間の尊厳の問題がありますね。
例えば、北朝鮮などがその問題を今、私たちに突きつけていると思う。
これは、ちょっと身近な家庭内暴力の問題と人権問題に似ていると思う。
内政干渉をしない、というのが、元々価値観の違う者が、干渉し合ったら紛争の解決ができない。また、この内政不干渉の精神の中には、個人の魂の自由を認め合うという望ましい理念が入っている。
ところがこの内政不干渉が、時には恐ろし人権侵害、人間の尊厳を犯す事態が出現する。理想とする理念の明るさに反比例するように酷い。
国家の不手際によって飢餓に瀕している人たちがいる。強制収容所などで迫害を受けている人たちがいる。人間の尊厳を奪われている人たちがいる。
だが、内政不干渉で手がだせない。この人たちは個人の魂の尊厳という理念のために二重の迫害を受ける結果になっているんですね。救出される権利を奪われてしまっている。
これは、家庭内暴力、家庭内虐待問題などでも、長い間放置され、犠牲者が出ている問題と同じです。家庭内の問題には干渉しない、という法律が二重に被害者を苦しめてきました。本当の弱者には、救いの手は届かないか、という問題です。
本来、自分を守ってくれる。自由と人間の尊厳を与えてくれるはずの人が人間の尊厳を奪う。
家庭内の問題には、立ち入らない。個人の生き方の自由を尊重する。健全に営まれているケースでは理想です。また、大部分の家庭はそのベースで営まれている。
だが例外がある。親の虐待で命を落とす子供がいる。守ってくれるべき夫に虐待されている妻がいる。だが放置されていましたね。家庭問題には干渉しない、という三字麗句を隠れ蓑に…。
家庭内問題に干渉しないということより、人間の尊厳の方が重いのではないか、という風潮が生まれて、家庭内暴力問題に行政や第三者が関与できるようになってきたのは、ごく最近です。だが、この狭間での犠牲者を無くすには、遠い現実があり、何もかもが試行錯誤の状態です。
これは国際政治でも同じ問題が起きている。例外的にしろ、国民を虐待している国家がある。人間の尊厳を奪ってしまっている国家がある。
ここで、人間の尊厳の問題と内政不干渉の問題が対立するんですね。本来はどっちも、明るく好ましいもののはずの理念の犠牲者が出てしまっている。
強制収容所など、追い詰められた独裁者などが作るわけですが、放置できない人権問題を含んでいる。だが、この独裁者を改心させるのは絶望に近い。
こんなとき、やはり武力しかないのか、と悪魔がささやき始めるんですね。この悪魔のささやきとどう付き合っていくのか、それが、北朝鮮問題であり、個人的には人間性を根本から問われる問題になって迫ってきます。
拉致被害者や圧政に苦しむ人たちの救出には、武力行使を否定していては、何もできないのか、と。だが、人間の尊厳を犯される問題に関しては、他国であろうと自国であろうと人類共通の問題、いつかは自分に帰ってくる問題として、無関心でいる訳にはいかない。
これは メッセージ 29576 (assaraamaaleicomn さん)への返信です.
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