2001年11月12日
投稿者: assaraamaaleicomn 投稿日時: 2004/01/04 17:36 投稿番号: [29683 / 118550]
>テロだった場合の仏蘭西の反応が見物でアル。
こういう考え方ができるのであれば、この下↓の事件に対する貴方のご意見はいかがなのか?お聞きしたい。
私のつたない記憶だけれど、これなんかボイスレコーダーの記録とかそういうものの一切の証拠を検証する以前に、早々と「テロとは無関係」という結論で調査が始まって、以後、日本にはほとんど事後報告がされていない。
ニューヨーク市街地に墜落という、前代未聞の航空機事故にしては、いかにその二ヶ月前のショックがあるとはいえ、余りにも淡泊で、早急な解決であったと、その時の私は驚いたのだが・・・?この時の飛行機の残がいさえ、このテレビ好きなだけのおじさん(私)も見た記憶が無いというのも、なんとも不思議な事件として記憶があります。
************************
http://www004.upp.so-net.ne.jp/civil_aviation/cadb/wadr/accident/20011112a.htm
事故詳細
(事故No,20011112a)
2001年11月12日午前9時17分頃、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク発ドミニカ共和国サントドミンゴ行きアメリカン航空587便エアバスA300B4-605R(N14053)が、ニューヨークのジョン・F・ケネディー国際空港を離陸約103秒後に空港から約8Km離れたニューヨーク市クイーンズ区ロッカウェイの住宅街に墜落した。
この事故で乗員9名、乗客251名、計260名全員と地上の住民5名の計265名が死亡した。 現場は住宅密集地帯で、4棟が全壊・全焼するなど計12棟の住宅に被害が出た上、少なくとも住民16名が負傷した。
事故機は1987年に製造され、1988年7月から就航していた。
乗客のうち226名はドミニカ国籍あるいはドミニカ系アメリカ移民であった。
機体の残骸は概ね4箇所に分かれて落下した。エンジン1基はガソリン・スタンドの敷地内に、また垂直尾翼は海岸付近の海上に、機体の主要部分や客室部分は住宅街に落下した。住宅街では大規模な火災が発生した。
NTSBのDFDRの初期解析結果により、事故機はDFDRの記録が終了する28秒前と8秒前の2回に渡り、事故機の直前に同空港を離陸し前方を上昇中のニューヨーク発成田行き日本航空47便ボーイング747-400の後方乱気流に巻き込まれたこと、2回目の遭遇の数秒後、機体は左右上下に激しく揺れ、尾翼が作動しなくなったこと、2回目の乱気流の直後、パイロットが機体を右に制御しようとしたのに対し、機体は左方向に傾斜して制御を失い急旋回しながら機首を下げ、墜落したことが判明した。
また、残骸の散乱状態などから、事故機は墜落前に垂直安定板、方向舵、第2エンジン、第1エンジンがそれぞれ胴体から脱落したことが判明している。ボーイング747はエンジン4基を搭載しており、強い後方乱気流が発生する場合があるとの指摘もあるが、NTSBは、乱気流の強さは想定された限界を超えたものではなく乱気流だけで尾翼がもぎ取られることはないとし、後方乱気流が、揺れを引き起こすことはあっても墜落に直接影響を与えるほどの威力を持っていなかったものとみており、尾翼が機体から外れたのは、後方乱気流だけが原因ではなく、尾翼の構造、素材などの欠陥、機械トラブルや操縦ミスを含めた複合的原因で事故が起きた可能性を示唆した。
エアバスA300の尾翼に使われている炭素繊維強化プラスチックは、軽くて強い反面、内部の損傷などが察知しにくい難点があるとの指摘もあり、NTSBでは尾翼に構造上の欠陥がなかったかも合わせて調べるとともに、事故機固有の事情として1988年に事故機がアメリカン航空に納入される前、機体と垂直安定板の6箇所の接続部分のうち1箇所に不具合があり、補強したことにも注目し、事故との関連を調査している。
2001年9月11日の米国同時多発テロのから2ヶ月、いまだ緊張が続くニューヨーク市では、本件事故発生に伴い、市内全域に最高度警戒態勢が敷かれ、同空港から半径40Kmの上空は飛行制限、ニューヨーク周辺の3空港(ジョン・F・ケネディ、ラガーディア、ニューアーク)は閉鎖されたが、同日夕方までに段階的に運航を再開した。また、マンハッタン島と周辺地域を結ぶ橋やトンネル、地下鉄も閉鎖されたが、同日夜までに一部の制限を除き通行可能となった。その他エンパイアステートビルなどの主要施設や総会を開催中だったニューヨーク市の国連本部も一時閉鎖された。
同時多発テロと同じ時間帯に同じニューヨークで起きた本件事故は、多くの人々にあの日の恐怖を蘇らせた。
こういう考え方ができるのであれば、この下↓の事件に対する貴方のご意見はいかがなのか?お聞きしたい。
私のつたない記憶だけれど、これなんかボイスレコーダーの記録とかそういうものの一切の証拠を検証する以前に、早々と「テロとは無関係」という結論で調査が始まって、以後、日本にはほとんど事後報告がされていない。
ニューヨーク市街地に墜落という、前代未聞の航空機事故にしては、いかにその二ヶ月前のショックがあるとはいえ、余りにも淡泊で、早急な解決であったと、その時の私は驚いたのだが・・・?この時の飛行機の残がいさえ、このテレビ好きなだけのおじさん(私)も見た記憶が無いというのも、なんとも不思議な事件として記憶があります。
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http://www004.upp.so-net.ne.jp/civil_aviation/cadb/wadr/accident/20011112a.htm
事故詳細
(事故No,20011112a)
2001年11月12日午前9時17分頃、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク発ドミニカ共和国サントドミンゴ行きアメリカン航空587便エアバスA300B4-605R(N14053)が、ニューヨークのジョン・F・ケネディー国際空港を離陸約103秒後に空港から約8Km離れたニューヨーク市クイーンズ区ロッカウェイの住宅街に墜落した。
この事故で乗員9名、乗客251名、計260名全員と地上の住民5名の計265名が死亡した。 現場は住宅密集地帯で、4棟が全壊・全焼するなど計12棟の住宅に被害が出た上、少なくとも住民16名が負傷した。
事故機は1987年に製造され、1988年7月から就航していた。
乗客のうち226名はドミニカ国籍あるいはドミニカ系アメリカ移民であった。
機体の残骸は概ね4箇所に分かれて落下した。エンジン1基はガソリン・スタンドの敷地内に、また垂直尾翼は海岸付近の海上に、機体の主要部分や客室部分は住宅街に落下した。住宅街では大規模な火災が発生した。
NTSBのDFDRの初期解析結果により、事故機はDFDRの記録が終了する28秒前と8秒前の2回に渡り、事故機の直前に同空港を離陸し前方を上昇中のニューヨーク発成田行き日本航空47便ボーイング747-400の後方乱気流に巻き込まれたこと、2回目の遭遇の数秒後、機体は左右上下に激しく揺れ、尾翼が作動しなくなったこと、2回目の乱気流の直後、パイロットが機体を右に制御しようとしたのに対し、機体は左方向に傾斜して制御を失い急旋回しながら機首を下げ、墜落したことが判明した。
また、残骸の散乱状態などから、事故機は墜落前に垂直安定板、方向舵、第2エンジン、第1エンジンがそれぞれ胴体から脱落したことが判明している。ボーイング747はエンジン4基を搭載しており、強い後方乱気流が発生する場合があるとの指摘もあるが、NTSBは、乱気流の強さは想定された限界を超えたものではなく乱気流だけで尾翼がもぎ取られることはないとし、後方乱気流が、揺れを引き起こすことはあっても墜落に直接影響を与えるほどの威力を持っていなかったものとみており、尾翼が機体から外れたのは、後方乱気流だけが原因ではなく、尾翼の構造、素材などの欠陥、機械トラブルや操縦ミスを含めた複合的原因で事故が起きた可能性を示唆した。
エアバスA300の尾翼に使われている炭素繊維強化プラスチックは、軽くて強い反面、内部の損傷などが察知しにくい難点があるとの指摘もあり、NTSBでは尾翼に構造上の欠陥がなかったかも合わせて調べるとともに、事故機固有の事情として1988年に事故機がアメリカン航空に納入される前、機体と垂直安定板の6箇所の接続部分のうち1箇所に不具合があり、補強したことにも注目し、事故との関連を調査している。
2001年9月11日の米国同時多発テロのから2ヶ月、いまだ緊張が続くニューヨーク市では、本件事故発生に伴い、市内全域に最高度警戒態勢が敷かれ、同空港から半径40Kmの上空は飛行制限、ニューヨーク周辺の3空港(ジョン・F・ケネディ、ラガーディア、ニューアーク)は閉鎖されたが、同日夕方までに段階的に運航を再開した。また、マンハッタン島と周辺地域を結ぶ橋やトンネル、地下鉄も閉鎖されたが、同日夜までに一部の制限を除き通行可能となった。その他エンパイアステートビルなどの主要施設や総会を開催中だったニューヨーク市の国連本部も一時閉鎖された。
同時多発テロと同じ時間帯に同じニューヨークで起きた本件事故は、多くの人々にあの日の恐怖を蘇らせた。
これは メッセージ 29678 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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