2004年『バカの壁』
投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2004/01/02 08:48 投稿番号: [29598 / 118550]
俺は養老さんの『バカの壁』という本は半分までも読まずに止めちゃってるんだけど、確か個人的な体験を思い出して、「経験しなければ理解できないことがある」という意味のことが書いてあったような...養老さんが書くとスゴい発見のように思うが、普通に考えれば、これは人間誰にも当てはまる当たり前のことだということがわかる。そう、人間は死ぬまでそうで、そのことを自覚していることが大切なのだ。しかし、このトピには、大の大人になっても「『経験しなければ理解できないことがある』ということを理解していない」井の中の蛙がいる。だから、次のようなマヌケなことを書く。
>アメリカの「強さ」は多種民族が、「自由」という思想によって、肌の色、宗教の違いを超えて、結束されてるとこだと思います・・・
>
こんなことが事実と違うことは、アメリカで少し暮らしてみればすぐに判る。基本的にアメリカが移民を受け入れるのは、安い労働力が必要であるからにすぎない。不要になれば、あるいは邪魔と思えば、米国内に居られなくする方法をとるだろう。(実際、アラブ系の人間じゃなくても、IT関係はそういうことが起きている。当たり前だろう、アメリカより労働力が安くて済むなら、本国に帰ってもらった方がいいに決まっている。)ごくごく少数の成功者を除けば、人種や民族、宗教の違いによって住む場所は違うし、ありつく職も違う。普段のお仲間も歴然として違う。「肌の色、宗教の違いを超えて」なんて、ごく特殊なケースを除いてお目にかかったことがない。「自由」なんてもので超えられるほど、「肌の色、宗教の違い」は甘くはないのだ。
日本だって、今でもそう簡単に外国人にアパートを貸すことなんかないだろう。生活習慣などの違いのために、トラブルの種になるからだ。旅先ならまだしも、日常生活の中で生活習慣のまるで違う相手と年中向き合っていたいと思う奴などどこにいるだろうか。だいたい、人間は理解し合える人を周りに求める。例えば俺の場合、典型的な白人なんかとテニス仲間になったら、疲れてしょうがない。だから、それぞれ自然に住む場所、遊び相手も絞られてくる。
こういうことは、ヨーロッパなんかの国々でも多分そうだろう。人間の根幹に関わる部分が、アメリカという国でだけ違うなんてことはあり得ない。人間には、長い歴史の中で簡単には乗り越えられない違いが厳然として存在するのだ。問題は、それぞれの違いを前提に、どこで妥協点を見つけるか、だ。物心つく前から身に付けたり、目にしていたりした生活習慣をそう簡単に変えることなどできない。「自由」なんて高尚なことを考えながら毎日の生活を送る脳天気がどこにいるだろうか。「自由」なんて言葉が出てくるのは、何かのついでにお題目として出てくるぐらいのものだ。それなりの社会生活を送っているアメリカ白人と話しているときでさえ、「自由」とか何とか言ってたら、「オマエ、何言ってんだ」って顔されるよ。
>アメリカの「強さ」は多種民族が、「自由」という思想によって、肌の色、宗教の違いを超えて、結束されてるとこだと思います・・・
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こんなことが事実と違うことは、アメリカで少し暮らしてみればすぐに判る。基本的にアメリカが移民を受け入れるのは、安い労働力が必要であるからにすぎない。不要になれば、あるいは邪魔と思えば、米国内に居られなくする方法をとるだろう。(実際、アラブ系の人間じゃなくても、IT関係はそういうことが起きている。当たり前だろう、アメリカより労働力が安くて済むなら、本国に帰ってもらった方がいいに決まっている。)ごくごく少数の成功者を除けば、人種や民族、宗教の違いによって住む場所は違うし、ありつく職も違う。普段のお仲間も歴然として違う。「肌の色、宗教の違いを超えて」なんて、ごく特殊なケースを除いてお目にかかったことがない。「自由」なんてもので超えられるほど、「肌の色、宗教の違い」は甘くはないのだ。
日本だって、今でもそう簡単に外国人にアパートを貸すことなんかないだろう。生活習慣などの違いのために、トラブルの種になるからだ。旅先ならまだしも、日常生活の中で生活習慣のまるで違う相手と年中向き合っていたいと思う奴などどこにいるだろうか。だいたい、人間は理解し合える人を周りに求める。例えば俺の場合、典型的な白人なんかとテニス仲間になったら、疲れてしょうがない。だから、それぞれ自然に住む場所、遊び相手も絞られてくる。
こういうことは、ヨーロッパなんかの国々でも多分そうだろう。人間の根幹に関わる部分が、アメリカという国でだけ違うなんてことはあり得ない。人間には、長い歴史の中で簡単には乗り越えられない違いが厳然として存在するのだ。問題は、それぞれの違いを前提に、どこで妥協点を見つけるか、だ。物心つく前から身に付けたり、目にしていたりした生活習慣をそう簡単に変えることなどできない。「自由」なんて高尚なことを考えながら毎日の生活を送る脳天気がどこにいるだろうか。「自由」なんて言葉が出てくるのは、何かのついでにお題目として出てくるぐらいのものだ。それなりの社会生活を送っているアメリカ白人と話しているときでさえ、「自由」とか何とか言ってたら、「オマエ、何言ってんだ」って顔されるよ。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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