フセイン体制崩壊 独裁と戦争の24年
投稿者: benkyoubenben 投稿日時: 2003/04/10 11:41 投稿番号: [23168 / 118550]
国民を恐怖政治で支配し、地域の軍事大国として国際社会をしばしば震撼させたサダム・フセイン大統領のイラク支配が事実上、終焉を迎えた。この24年は独裁政治下で戦争続きという、国民にとって極めて辛い時代だといえる。
独裁色の強い中東諸国にあっても、フセイン大統領の独裁体制は特に強固であり、多くの国民は「人類史上、これほど怖い指導者は想像できない」と語った。靴磨きや新聞売りなどに姿を変えた秘密警察が国内各地に張り巡らされれ、国民は常に治安当局の目を気にして生活していた。
大統領のポスターにコーヒーをかけただけでも処刑されたといった残忍な噂は枚挙にいとまがない。80年代までは、あちこちにフセイン大統領の私書箱が置かれたほか、大統領府への直通電話などを通じて密告制度が完成されたといわれる。「イラク国民は自分以外に信用する者はない」とさえ言われた。
また、大統領の娘婿フセイン・カメル中将が95年、大統領やその家族との不仲からヨルダンに亡命し、帰国した後に殺害されるなど、大統領は政権幹部や身内であっても、自分に背く者は容赦なく殺した。
ペルシャ湾岸地域に対しては、化学兵器にまつわる恐怖も振りまき、イランとの戦争中の88年には、イラン南部アフワズに毒ガス・ミサイルを打ち込んだほか、イラク北部の反政府派クルド人に化学兵器を使用し約5000人を殺害した。
半面、家族と故郷ティクリート出身者への優遇策が目立った。長男ウダイ氏は五輪委員会委員長、国会議員など要職を務め、二男クサイ氏は共和国防衛隊の責任者に就任しフセイン後継の最有力者といわれた。
一方、国民にとっては戦争続きの24年だった。
90年8月には、「クウェートはイラク領土の一部」と主張してクウェートに侵攻。91年1月には米国を中心とする多国籍軍と戦火を交え(湾岸戦争)、軍事的には完敗したものの国内治安を強化することで政権を維持させた。
フセイン大統領が恐怖政治によって国民を苦しめ、国際社会の不安定化を招いたのである。
大多数のイラク国民はフセイン政権の崩壊を喜んでいる。
反戦デモをしている人は、フセイン政権を支持している人ということになります。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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