性質もあるのだから
投稿者: yahjn119 投稿日時: 2003/03/20 19:50 投稿番号: [2182 / 118550]
暴力的なコミュニケーションは必要であると、私は考えます。話の通じない頑迷な、もしくは幼い精神の人に対して、防衛という意味で発揮する防御の力は、ないよりはあった方がいいと思います。でなければ、力だけを持った人に支配されてしまい、それこそ野性に戻ってしまうと思うからです。
ただ、戦争という暴力は、権力者のコミュニケーション能力不足で、話し合う余地がないというこじつけの理由を正当化し、他人を"使って"大量殺人をさせる行為だと考え、反対します。一国を束ねる位置にあるひとは、その権力と同等以上の義務を果たすべきだと、思います。
アメリカの国民は、反対の声を無視する自国の大統領をどう思っているのでしょうか?
私は、考えた末の決断であっても、日本の国会が決定した内容に対して、納得が行きません。国会答弁が茶番に見える。
反対ばかりしていれば、自己のアイデンティティが守られるとお思いの野党の皆様や、もううんざり顔の首相やら、実はぐるになって国民を欺いているのではないかと、かんぐってしまいます。
それこそ、「国会の連中は口で言っても分からないから」と過激な行為に出たら、首相は今度はどのような決断を下すのでしょうか?それと同じことに、加担しているのではないのですか?
ご意見お待ちします。
これは メッセージ 2091 (zyaga1103 さん)への返信です.
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