これは平和に役立つものなのでしょうか?
投稿者: anywhere_you_want_to_go 投稿日時: 2003/04/05 22:50 投稿番号: [20951 / 118550]
★
平和とは、アプローチの仕方…
★
「平和」という ※かかわり方・アプローチの仕方・ものの見方・
フィルター・解釈のあり方・価値観・概念は、
「もともと人間にそなわっている感情」と、
「状況を中立的な状態で判断すること」とを 別々に分けて物事を捉える
ということになるのでしょうか?
言っている「内容」と それを伝えようとする「伝え方」とは
別の次元の話ということなのかもしれません。
「対立」という次元では、「発言した内容が否定されること」と、
「その人の存在自身が否定されること」とが同じになり
「対立」と自分とを分けることができない ということなのかもしれません。
「平和」という次元では 「発言した内容が否定される」のと、
「その人の存在自身が否定されること」とは別の事
ということになるのでしょうか…
「平和」とは、
話そのものに「議論される価値」を見出すコミニュケーションの側面を
持っているのかもしれません。
そこには「感情の中立さ」を伴い、
そこから意見の多様性も生まれてゆくのかもしれません。
あなたの発言には「議論するに値するだけの価値がある」。
多くの意見を容認することが、結果的に
「対立」の世界で、傷ついた発言を癒してゆくのかもしれません。
「平和」という側面は、
「自分が思ったことを自由に発言できる」ことを可能にするのと同時に、
その発言によって、「相手を責めることがない」ことを可能にしているのかもしれません。
それは一方では、「相手が、どんなことを自由に発言」しても、
受け取った側が「責められる感覚を受けない」ことを
意味するということになるのかもしれません。
その中で、より多様な選択の幅を内包しながら、より偏差の少ない、
より現実的な、行動を選択すること を可能にしてくれるのかもしれません。
「平和」という 概念は、
より多様でより豊かな意見を、必要とするのかもしれません。
それは 共感する声も、対立する価値観も、対極にある意見も、
どんな立場の経験も含めて、すべての意見の存在を容認し、
より多種の「起こりうる可能性」を、議論し、検討し、試行するからなのかもしれません。
より合理的で、より洗練され、より危険の少なく、より適切で、より成果の大きい
「問題解決のてだて」を見つけために、
それは、まぎれもなく、これからの私たちの大切な未来が、
このひとつひとつの行動にかかっているから に他ならないのでしょう…
「平和」というプロセスは、
「対立」という世界観の中で生まれた様々な
多様性・可能性・選択肢の種から より適時・適切なものをまとめ上げ
慎重に統合し、実行に移してゆく作業なのかもしれません。
そして、「中立に立った感情」は、
これからの「望む未来」を創るための意志決定に
欠かせないものになってゆくのかもしれません。
「この道が、わたしたちが望む 未来 へと 本当に続くものなのか?」
それは、なによりも厳しい目で、「私たちの声の反映」の
検証を し続けてゆくのかもしれません。
「平和」という ※かかわり方・アプローチの仕方・ものの見方・
フィルター・解釈のあり方・価値観・概念は、
「もともと人間にそなわっている感情」と、
「状況を中立的な状態で判断すること」とを 別々に分けて物事を捉える
ということになるのでしょうか?
言っている「内容」と それを伝えようとする「伝え方」とは
別の次元の話ということなのかもしれません。
「対立」という次元では、「発言した内容が否定されること」と、
「その人の存在自身が否定されること」とが同じになり
「対立」と自分とを分けることができない ということなのかもしれません。
「平和」という次元では 「発言した内容が否定される」のと、
「その人の存在自身が否定されること」とは別の事
ということになるのでしょうか…
「平和」とは、
話そのものに「議論される価値」を見出すコミニュケーションの側面を
持っているのかもしれません。
そこには「感情の中立さ」を伴い、
そこから意見の多様性も生まれてゆくのかもしれません。
あなたの発言には「議論するに値するだけの価値がある」。
多くの意見を容認することが、結果的に
「対立」の世界で、傷ついた発言を癒してゆくのかもしれません。
「平和」という側面は、
「自分が思ったことを自由に発言できる」ことを可能にするのと同時に、
その発言によって、「相手を責めることがない」ことを可能にしているのかもしれません。
それは一方では、「相手が、どんなことを自由に発言」しても、
受け取った側が「責められる感覚を受けない」ことを
意味するということになるのかもしれません。
その中で、より多様な選択の幅を内包しながら、より偏差の少ない、
より現実的な、行動を選択すること を可能にしてくれるのかもしれません。
「平和」という 概念は、
より多様でより豊かな意見を、必要とするのかもしれません。
それは 共感する声も、対立する価値観も、対極にある意見も、
どんな立場の経験も含めて、すべての意見の存在を容認し、
より多種の「起こりうる可能性」を、議論し、検討し、試行するからなのかもしれません。
より合理的で、より洗練され、より危険の少なく、より適切で、より成果の大きい
「問題解決のてだて」を見つけために、
それは、まぎれもなく、これからの私たちの大切な未来が、
このひとつひとつの行動にかかっているから に他ならないのでしょう…
「平和」というプロセスは、
「対立」という世界観の中で生まれた様々な
多様性・可能性・選択肢の種から より適時・適切なものをまとめ上げ
慎重に統合し、実行に移してゆく作業なのかもしれません。
そして、「中立に立った感情」は、
これからの「望む未来」を創るための意志決定に
欠かせないものになってゆくのかもしれません。
「この道が、わたしたちが望む 未来 へと 本当に続くものなのか?」
それは、なによりも厳しい目で、「私たちの声の反映」の
検証を し続けてゆくのかもしれません。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/20951.html