>また、わからなくなりました
投稿者: native_born_lonely 投稿日時: 2003/04/04 23:37 投稿番号: [20520 / 118550]
現実問題として、国際世論がイスラエルに批判的であり、また、「意図的に市民を狙った殺戮行為かどうか」という厳密な視点が、マスコミ報道においても欠落しているのは事実だと思うのです。
イスラエルにはパレスチナの痛みを理解しようとする運動は現存していて、時間的な積み重ねもある。イラク問題が起こってから急に戦争反対で盛り上がってしまっている一部の人たちとは違う。しかも、現在は少数派となっているが、多数派を占めていた時期もある。
一方で、パレスチナ側には、「例外的」といわざるを得ない一部の知識人の間にのみ、イスラエル側の痛みを理解しようとしている人たちがいて、歴史的・政治的重みという意味では、黙殺されかねない影響力しかないことも、また事実だと思います。
であれば、世論がこれまで一度も認識しようとしなかったこと。日常生活を脅かされる、無作為かつ意図的な、市民をターゲットとしたテロ、というものと、イスラエル国民の関係を、まずはきちんと取り上げて理解力を示す必要があるだろう、ということです。
これに、対話、合意、約束履行、といったプロセスをきちんと目撃するという国際社会の仕組みが加われば、少なくともイスラエルは、これまでにも何度か試みたように、対話のテーブルには着くはずだし、実際に、それができることは、過去において証明済み、だと思います。
ですから、私が今現在「欠如していること」に絞って指摘したことは、充分にフェアだと思います。
そうはいっても……
対立関係の二者が「対話」をするということは、具体的には、「妥協点」を探るということだと思います。ですが、個人的な理解で言えば、イスラムという文化には、「妥協」というものを受け入れる懐というものがない、と思っています。なので、仮に「フェア」な「対話」の機会を国際社会が与えることができたとしても、建国のときと同様に、今回も「オールオアナッシング」で拒否してくるのはパレスチナ側なのだろうな、とも勘ぐってはしまいます。私がそう思うのは、個人的な肩入れということなしにも、彼らの「前科」がそう感じさせる以上、致し方ないのではないでしょうか?
これは メッセージ 20501 (iwishcome さん)への返信です.
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