CIAと地東京地検特捜部
投稿者: battamother 投稿日時: 2009/04/16 05:00 投稿番号: [117778 / 118550]
小沢の秘書逮捕において、CIAの陰謀ではないかとの噂がネット上を駆け巡ったが、少なくともCIAの直接の関与はなかったであろう。
しかし、CIAから何らかの有力な情報が東京地検特捜部に提供されていたであろう疑惑は拭えない。
そこで、まことしやかに言われているのがこれだ。
「東京地検特捜部の歴代トップは、全員CIAに留学し、CIAの対日工作員としての徹底的教育を受け、日本に帰国する。この教育を受けた者でなければ、東京地検特捜部、そして日本の警察機構の中で、上層部に出世する事は出来ない。」
この真偽のほどは各自の判断に委ねるが。。。。
東京地検の谷川恒太次席検事と佐久間達哉特捜部長がそろって記者会見に臨み、この時期の着手に関する質問に対し、「重大性、悪質性を考えると、衆院選が秋までにあると考えても放置することはできないと判断した」と述べた訳だが、他の政治家の秘書も違法献金を受けているであろうが、特に小沢側で行われた収支報告書の虚偽記載に関しては、「国民を欺き、政治的判断をゆがめるものにほかならない」と述べている。検察に対して疑問を呈する輩は、この検察側の主張を軽んじすぎてはいないだろうか。確かに検察は時に権力の乱用をしてきた可能性は否定できないが、今回の小沢と癒着した検察トップ等を排してまで小沢秘書逮捕に臨んでいる。相当のリスクや誤解を受けることも重々承知の上での強行だった。失墜された感のある検察の名誉回復のための、彼らなりの「正義」の主張であったという見方もある。
また、検察は「われわれが政治的意図をもって捜査することはありえない」と断言し、自民党議員らについては「捜査すべきものは捜査するとしか言えない」と述べており、事実自民党の二階氏立件のための具体的捜査にも着手している。
小沢の公設秘書を逮捕し立件するに十分な証拠が揃っていたために、その自信から若干勇み足になってしまった事が竜頭蛇尾の印象や、不自然さを与える結果になってもいる。それでも今回はそういった検察への批判以上に、小沢の釈明に納得していない国民世論の声の方が遙かに多い。それだけでも検察の思いは十分成就しているだろう。
「歪んだ正義」の著者は、今後益々事件の巧妙化、複雑化、弁護活動の強化が進む事が十分予測され中、歴史的な検証を行い、それを通して、検察本来の指名を模索する時期を迎えているのではないかと述べ、そのためには、各階から人材をそろえた検察・検事をチェックする強制力をもった「特別検察官制度」なる組織を構築するのも一つの方法だと述べている。
更に、裁判官の意識革命も重要だとする。本来裁判所は公判を通して検察の描いた構図を証拠調べや法的解釈からチェックすべき役割を担っているはずだが、現実は検察の手の上で踊らされているという印象をぬぐいきれず、これでは公正な司法とは程遠いとしている。
加えてマスコミももっと冷静な立場から、検察、裁判に注目することが必要ではないかと。そうすることが本来の特捜検察の姿につながると痛感すると述べている。
しかし、検察・検事や裁判所の質の向上ばかりを謳ったところで、為政者や官僚がクリーンにならない限り、鶏と卵的イタチごっこにしかならないと思うが。
究極のところ、為政者や検察・検事を正せるのは、特別の組織構築などではなく、我々国民の声なのである。
「この国民にしてこの国家あり」
まもなく裁判員制度も始まる。
しかし、CIAから何らかの有力な情報が東京地検特捜部に提供されていたであろう疑惑は拭えない。
そこで、まことしやかに言われているのがこれだ。
「東京地検特捜部の歴代トップは、全員CIAに留学し、CIAの対日工作員としての徹底的教育を受け、日本に帰国する。この教育を受けた者でなければ、東京地検特捜部、そして日本の警察機構の中で、上層部に出世する事は出来ない。」
この真偽のほどは各自の判断に委ねるが。。。。
東京地検の谷川恒太次席検事と佐久間達哉特捜部長がそろって記者会見に臨み、この時期の着手に関する質問に対し、「重大性、悪質性を考えると、衆院選が秋までにあると考えても放置することはできないと判断した」と述べた訳だが、他の政治家の秘書も違法献金を受けているであろうが、特に小沢側で行われた収支報告書の虚偽記載に関しては、「国民を欺き、政治的判断をゆがめるものにほかならない」と述べている。検察に対して疑問を呈する輩は、この検察側の主張を軽んじすぎてはいないだろうか。確かに検察は時に権力の乱用をしてきた可能性は否定できないが、今回の小沢と癒着した検察トップ等を排してまで小沢秘書逮捕に臨んでいる。相当のリスクや誤解を受けることも重々承知の上での強行だった。失墜された感のある検察の名誉回復のための、彼らなりの「正義」の主張であったという見方もある。
また、検察は「われわれが政治的意図をもって捜査することはありえない」と断言し、自民党議員らについては「捜査すべきものは捜査するとしか言えない」と述べており、事実自民党の二階氏立件のための具体的捜査にも着手している。
小沢の公設秘書を逮捕し立件するに十分な証拠が揃っていたために、その自信から若干勇み足になってしまった事が竜頭蛇尾の印象や、不自然さを与える結果になってもいる。それでも今回はそういった検察への批判以上に、小沢の釈明に納得していない国民世論の声の方が遙かに多い。それだけでも検察の思いは十分成就しているだろう。
「歪んだ正義」の著者は、今後益々事件の巧妙化、複雑化、弁護活動の強化が進む事が十分予測され中、歴史的な検証を行い、それを通して、検察本来の指名を模索する時期を迎えているのではないかと述べ、そのためには、各階から人材をそろえた検察・検事をチェックする強制力をもった「特別検察官制度」なる組織を構築するのも一つの方法だと述べている。
更に、裁判官の意識革命も重要だとする。本来裁判所は公判を通して検察の描いた構図を証拠調べや法的解釈からチェックすべき役割を担っているはずだが、現実は検察の手の上で踊らされているという印象をぬぐいきれず、これでは公正な司法とは程遠いとしている。
加えてマスコミももっと冷静な立場から、検察、裁判に注目することが必要ではないかと。そうすることが本来の特捜検察の姿につながると痛感すると述べている。
しかし、検察・検事や裁判所の質の向上ばかりを謳ったところで、為政者や官僚がクリーンにならない限り、鶏と卵的イタチごっこにしかならないと思うが。
究極のところ、為政者や検察・検事を正せるのは、特別の組織構築などではなく、我々国民の声なのである。
「この国民にしてこの国家あり」
まもなく裁判員制度も始まる。
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