パリサイ人
投稿者: battamother 投稿日時: 2008/11/21 10:21 投稿番号: [114961 / 118550]
うまいこと言わはる(^m^)
聖書を少しでも囓った人ならご存じであろう「パリサイ人」
今日では、偽善者・形式主義者といった意味で使われている訳だが、
ご存じでない方々の為に聖書の一部をご紹介すると。。。
『パリサイ人と取税人のたとえ』 ルカ18:9-14より
パリサイ人たちは、必ずと言っていいほど、常に大きな声で祈るのです。
そして、祈りの内容は、他人の罪深さを引き合いにして、自分自身が聖いと認められるようにしています。
彼の祈りは、神様にではなく、周りにいる者に向けられていました。
そして、彼らから「聖い」と認めてもらう、無理にでも認めさせるという目的があったのです。
「ゆする者は罪深いぞ。不正な者は罪深いぞ。姦淫する者は罪深いぞ。それに見てみろ、この取税人は本当に罪深いぞ。それに比べて私はなんと聖いんだ。ほらほら、みんな、ちゃんと聞けよ。」という祈りなのです。
いや、祈りではなく、ただのうるさい宣伝です。
↓もひとつおまけ
パリサイ人は祈りの中で、取税人を見下げ、自分の正しい生活を誇っています。彼は、神の前に自分の正しさを持ち出すことによって、自らを義としていたのです(11、12節)。ここに「行い」によって自らを義とする者の持つ、限界が明らかにされているのです。すなわち、自分の正しさを現わし、神に受け入れて頂くために、行いを追求しているにもかかわらず、内面は汚れた(罪深い)ままであるという事実です。ですから、人の目から見た「立派さ」は、神が義と認める(天の御国に入る)条件とは、無関係だと言えるのです。
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