メディアのタリバン化
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2008/10/06 17:31 投稿番号: [114052 / 118550]
▼東京新聞社説:橋下知事敗訴
弁護士失格のTV発言
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008100602000120.html
橋下発言だけではない。母子殺害事件の報道では、放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会から多くのテレビ番組が、刑事裁判の基礎知識不足や公平性、正確性の欠如を指摘された。
情報番組一般に言えるのは軽すぎるコメントの乱発だ。識者として登場する人たちが、専門知識があるわけでも特別勉強しているわけでもないことに安直、無責任に発言する。司会者の多くはいわゆるタレントだ。
視聴率を上げるため、親しみやすく、面白く…情報の本質を伝えることとは無縁の番組作りが橋下放言の背景にあるのではないか。だとすれば単なるタレント弁護士の暴走ではすまされない。
***
この問題を社説で取り上げたのは東京新聞のみかもしれない。これが日本のメディアのお寒い現実なのである。
テレビは、のど元過ぎれば何とか・・・で、反省の素振りはほんの瞬ですぐ同じ過ちを平然と繰り返す。オウム真理教の事件で一時はなりを潜めていた、タタリや心霊写真や霊魂などの与太話も今では定番である。これではカルト宗教国家の米国並みで、進化論を批判するとき聖書を持ち出して良いというようなもの・・・。せっかく学校で科学を教えてもまったく無駄である。そう血液型占いの馬鹿本も、売れに売れているらしい。これらの本では著者が「性格は十人十色をまず断っている」そうであるから、さらに悪質である。だって、私ならそんな本はたとえ一億円もらっても書かないからだ・・・。
さて光市母子殺害事件裁判でのメディアリンチで最悪のテレビは読売系だが、アホ番組の司会者の辛坊治郎は果たして反省することがあるのか?
そういえば二木啓孝が「弁護士を批判することと懲戒請求を呼びかける事は大違い」だと苦しくも弁解していたが、私からみればどちらも目くそ鼻くそである。この件では、まともな発言者など皆無であったからこそメディアリンチと形容されるのだ。
で、このテレビで繰り広げられた異様な風景をたとえるなら、テレビのタリバン化である。さっそくタリバンの公開処刑をみてみよう。
▼アハメド・ラシッド『タリバン』(坂井定雄・伊藤力司=訳、講談社)より―─。
競技場の公開処刑
午後の半ばまでに、競技場のスタンドは、一万人を超える男性と子どもたちで埋まり、グランドの中まで人があふれ、子供たちはピッチを走り回った。・・・
・・・ カンダハルにあるタリバンの最高裁判所の判事、カジ・ハリルラ・フェロジは一時間以上にわたって、タリバン運動の美徳を賞賛し、イスラム的刑罰の効用と本事件の全容について話した。
二十代前半のアブドラ・アフガンは、カンダハル近くの村に住む農民のアブドル・ワリから医薬を盗んだという。ワリが抵抗したので、アブドラはワリを撃ち殺した。数週間の捜索のあと、アブドラはワリの親戚に突き止められ、逮捕されてタリバンに引き渡された。アブドラは裁判にかけられ、まずカンダハルの高裁で死刑、続いてタリバンの最高裁でも死刑判決が下された。裁判では弁護士がつかず、被告は有罪が予想され、自分で弁護しなければならない。
タリバンのシャリーア、つまりイスラム法の解釈は、被害者の家族による処刑を求めているが、判事は執行直前まで、被害者の家族に殺人犯の助命を訴える。もし家族が慈悲を与えることになれば、かれらは血の代償を受け取る。だが、このようなタリバンのイスラム法解釈が、どれほどシャリーアにもとづいているのか・・・
さて、ピッチには被害者の親族が二十人ほど現れカジはかれらと向かいあった。両手を天にさし上げ、カジはかれらに血の補償金との交換にアブドラの命を救うように訴えた。
・・・
しかし、親族たち全員が頭を振って拒否の意を示した。タリバンの警護兵たちは銃を群衆に向け、動く者は撃つと警告した。スタンドは静粛になった。
この間、タリバン兵士に警護されて別の小型トラックのなかにいたアブドラは、外に引き出された。・・・
一人の警備兵が、カラシニコフ銃を殺された被害者の親族に手渡した。この親族は素早くアブドラに近より、銃を向け、数フィートの距離から三発、かれの背中を撃った。アブドラが俯せに倒れると、処刑者は横にいって銃を突きつけ、さらに三発、胸に発射した。何秒もたたないうちに、遺体は小型トラックに積まれ、走り去った。群衆は足早で、静粛に解散した。・・・
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008100602000120.html
橋下発言だけではない。母子殺害事件の報道では、放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員会から多くのテレビ番組が、刑事裁判の基礎知識不足や公平性、正確性の欠如を指摘された。
情報番組一般に言えるのは軽すぎるコメントの乱発だ。識者として登場する人たちが、専門知識があるわけでも特別勉強しているわけでもないことに安直、無責任に発言する。司会者の多くはいわゆるタレントだ。
視聴率を上げるため、親しみやすく、面白く…情報の本質を伝えることとは無縁の番組作りが橋下放言の背景にあるのではないか。だとすれば単なるタレント弁護士の暴走ではすまされない。
***
この問題を社説で取り上げたのは東京新聞のみかもしれない。これが日本のメディアのお寒い現実なのである。
テレビは、のど元過ぎれば何とか・・・で、反省の素振りはほんの瞬ですぐ同じ過ちを平然と繰り返す。オウム真理教の事件で一時はなりを潜めていた、タタリや心霊写真や霊魂などの与太話も今では定番である。これではカルト宗教国家の米国並みで、進化論を批判するとき聖書を持ち出して良いというようなもの・・・。せっかく学校で科学を教えてもまったく無駄である。そう血液型占いの馬鹿本も、売れに売れているらしい。これらの本では著者が「性格は十人十色をまず断っている」そうであるから、さらに悪質である。だって、私ならそんな本はたとえ一億円もらっても書かないからだ・・・。
さて光市母子殺害事件裁判でのメディアリンチで最悪のテレビは読売系だが、アホ番組の司会者の辛坊治郎は果たして反省することがあるのか?
そういえば二木啓孝が「弁護士を批判することと懲戒請求を呼びかける事は大違い」だと苦しくも弁解していたが、私からみればどちらも目くそ鼻くそである。この件では、まともな発言者など皆無であったからこそメディアリンチと形容されるのだ。
で、このテレビで繰り広げられた異様な風景をたとえるなら、テレビのタリバン化である。さっそくタリバンの公開処刑をみてみよう。
▼アハメド・ラシッド『タリバン』(坂井定雄・伊藤力司=訳、講談社)より―─。
競技場の公開処刑
午後の半ばまでに、競技場のスタンドは、一万人を超える男性と子どもたちで埋まり、グランドの中まで人があふれ、子供たちはピッチを走り回った。・・・
・・・ カンダハルにあるタリバンの最高裁判所の判事、カジ・ハリルラ・フェロジは一時間以上にわたって、タリバン運動の美徳を賞賛し、イスラム的刑罰の効用と本事件の全容について話した。
二十代前半のアブドラ・アフガンは、カンダハル近くの村に住む農民のアブドル・ワリから医薬を盗んだという。ワリが抵抗したので、アブドラはワリを撃ち殺した。数週間の捜索のあと、アブドラはワリの親戚に突き止められ、逮捕されてタリバンに引き渡された。アブドラは裁判にかけられ、まずカンダハルの高裁で死刑、続いてタリバンの最高裁でも死刑判決が下された。裁判では弁護士がつかず、被告は有罪が予想され、自分で弁護しなければならない。
タリバンのシャリーア、つまりイスラム法の解釈は、被害者の家族による処刑を求めているが、判事は執行直前まで、被害者の家族に殺人犯の助命を訴える。もし家族が慈悲を与えることになれば、かれらは血の代償を受け取る。だが、このようなタリバンのイスラム法解釈が、どれほどシャリーアにもとづいているのか・・・
さて、ピッチには被害者の親族が二十人ほど現れカジはかれらと向かいあった。両手を天にさし上げ、カジはかれらに血の補償金との交換にアブドラの命を救うように訴えた。
・・・
しかし、親族たち全員が頭を振って拒否の意を示した。タリバンの警護兵たちは銃を群衆に向け、動く者は撃つと警告した。スタンドは静粛になった。
この間、タリバン兵士に警護されて別の小型トラックのなかにいたアブドラは、外に引き出された。・・・
一人の警備兵が、カラシニコフ銃を殺された被害者の親族に手渡した。この親族は素早くアブドラに近より、銃を向け、数フィートの距離から三発、かれの背中を撃った。アブドラが俯せに倒れると、処刑者は横にいって銃を突きつけ、さらに三発、胸に発射した。何秒もたたないうちに、遺体は小型トラックに積まれ、走り去った。群衆は足早で、静粛に解散した。・・・
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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