対イラク武力行使

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 竹島は韓国領・・・加害者で被害者

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2008/08/01 00:32 投稿番号: [113225 / 118550]
>韓国はな、ベトナム戦争当時から米国と一体になって戦ってきた軍事同盟国だ。


日本軍人だった朴大統領の軍事独裁政権下で
ベトナム派兵された軍人達の給料も【国にピンはね】されたという。

更に帰国して枯葉剤の後遺症。


★キム・イルランさんの場合


●国策としてのベトナム戦争

――文通女性と結婚

  一九六〇年代の韓国は、GNP(国民総生産)が北朝鮮よりも低く、経済的に貧しい国だった。そんな時代背景のなか、韓国政府はベトナム参戦を決定し、派兵を推し進めていった。・・



  ●「猛虎部隊」の分隊長として

――苛烈な戦争体験

  キムさんもいま【枯葉剤の後遺症で足や腰の痛みに苦しんでいる。】


顔には細かい血管が浮かびあがり、顔色はつねに赤らんでいる。


彼は六六年から一年間、ベトナムの中部クイニョン市周辺で、韓国軍「猛虎部隊」の分隊長として戦った。


  ベトナムの人々にとって加害者だった彼は、

帰国後、思いもしなかった枯葉剤の後遺症に苦しむことになった。



消えることのない戦場での記憶を抱えて、加害者であると同時に被害者でもある、精神と身体の二重の傷に苦しみ続けている。



「帰国後は、ヘリコプターの音を聞くだけで身の毛がよだつようでした。ベトナムでは本当にいろんなことがあったから……」と、キムさんは静かに語る。


「寝て起きたら戦闘、そしてまた戦闘。その繰り返しです。すると、戦場で人を殺すことまでが、ストレス発散方法になりました。誰がいちばん早く人を撃ち殺すかで、ビールを賭けました。人の命で賭けをしていたのです……」


  さらに戦場での記憶をたどって、彼は告白するように話し続けた。

「六六年九月から三カ月間、私はベトナム中部のフーカットというところで、『猛虎六号作戦』を行なっていました。ある村に二〇人ぐらいのベトコンがいるという情報を得たので行ってみたんです。それまでの戦闘で戦友がたくさん戦死したり負傷したりしていましたから、そのとき私たちは完全に頭に血が昇って狂ったようになっていました。


村ではベトコンを探し出すのが難しくて、私たちは見せしめのために村長の娘を木に吊るして腹を切ったんです。それでも、村長は何も言わなかったので、二番目の娘も同じようにして殺したんです。そして、三番目の娘を吊るしたら、とうとう村長が口を開きました。


こうやってベトコンを全部探し出して、村長も含めてそこにいた人たちを皆殺しにしました。こんなことは数えきれないくらいありました。私たちは人間ではなかったんです……」



●精神と身体の二重の傷を抱えて


  彼は、この「猛虎六号作戦」が終わると、韓国政府から勲章を与えられた。


異国の戦場で、何度も人を殺した体験を心の底に抱えこみ、戦場からの文通で結ばれた妻にも、子供にも、誰にも言えないまま、ずっと罪責感に苛まれ、癒えることのない心の傷をひろげてきた。


  毎年六月六日、韓国では全国でベトナム戦争犠牲者の追悼式を開く。キムさんもこの日、戦死した部下の兵士のお墓参りをするため、ソウル市内の国立墓地に向かった。



●国立墓地で

  ・・   国立墓地には、ベトナム戦争で亡くなった韓国軍元兵士たちおよそ四〇〇〇人が眠っている。枯葉剤の後遺症で死亡する元兵士たちもここに収められる。


  生き残った兵士たちも、亡くなった兵士たちも、戦争の加害者として、そして被害者として、その心と体に傷跡をずっと抱えたまま、問い続けている。


「ベトナム戦争とは、私たち韓国人にとって何だったのだろうか……」
  再び戦禍を繰り返さない痛切な祈りが静かに捧げられる。

http://www.asiawave.co.jp/KyonSukkyon1.htm



  >憲法9条に守られて、金しか出さない日本は国際的にも虫ケラよ


金も出さないのが正解!
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)