別の視点で
投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2008/06/01 17:10 投稿番号: [112362 / 118550]
namahamu3maiさんが使われた「大衆」という言葉で盛り上がっているようだけど、俺はこちらの方が気になった。考え方がちょっと変というか。
>これは結構重要な問題で、一般的に人間は論理より感覚を優先する。
有る意味このトピに書き込むような連中は、理屈屋で偏屈だと一般社会では思われているのでは無かろうか。
第一に「一般的に人間は論理より感覚を優先する」のは当たり前で、そもそも人間はほとんど感覚で日常生活を送っている。なぜなら、理屈が必要な場合は考えるが、経験を積めばかっては理屈が必要なケースでも感覚化するという優れた能力を持っている。個人の人生がそれで終えられるなら、それに越したことはない。しかし、現実は変化し、新しい体験が次々と出てくるから、その都度理屈で考えることになる。ただし、個々人で興味のある対象は違うから、その対象によって考えている人と考えていない人の差がけっこうある。興味のある対象に限れば、「偏屈」であるかどうかは別にして、けっこうみなさん「理屈屋」である。これは回りの人たちで何も考えてないんでないかという人でも、興味のある対象になると、とんでもなく饒舌になることがあり、「理屈屋」になることで分かる。要は、けっこう皆さん理屈屋だけど、その理屈の対象が限られているに過ぎない。少なくとも俺の場合、このトピに書き込むのは、単に俺の興味の対象であるからにすぎない。この意味では、このトピの件について俺は理屈屋である。
そもそも一般社会でも、理屈を立て考えなければ、この競争の激しい世の中で生き残っていけない、と思える。
これは メッセージ 112342 (namahamu3mai さん)への返信です.
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