対イラク武力行使

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行為と目的の意図的混同

投稿者: bonno_216 投稿日時: 2007/07/06 10:24 投稿番号: [107167 / 118550]
>私は普遍の正義というものを信じている。私は正義は
>時代を超え文化を超え国境を超え、悪いことは誰が
>何時の時代に何処でやっても悪いという信念を持っている。

  上はmag.106970に書かれた案山子さんの言葉ですが、ここで作為か無作為かは別にして、普遍の正義(あるいは悪)を語るときに不可欠である、重要なファクターが欠落しています。

  それは「どんな意図、どんな目的があったかに関わらず」という一文です。

  意図や目的というものは、いくらでも後付けができるものですから、それによって評価が逆転するようであれば、とても「普遍」とは言えませんよね。

  たとえば、川で溺れている人を救助した行為が「善か悪か?」と問われれば、おそらく10人中10人が「善だ」と答えるでしょう。

  しかし続けて、「助けられた人物が凶悪連続殺人事件の犯人だったとしたら?」と言われた場合、ここで2人くらいは「善と言えない」に転向するかもしれません。また「知らずに救助したなら善だが、知っていて助けたなら悪だ」と答える「条件派」も2〜3人出るでしょう。

  これは「行為の正当性」から「目的、意図の正当性」へと論点がずれて行ってしまうことから起こる混乱です。

  ジョセフ氏の「原爆擁護論」や久間氏の「しょうがない論」は、原爆投下という「行為」の正当性を主張するのではなく、「戦争の早期終結」や「ソ連の北海道占領阻止」といった「目的、意図」の正当性を主張しています。

  これは、古くから言われ続けている「目的、意図による、行為の正当化」という詭弁の典型例でしょう。   冒頭引用したような「普遍の正義論」を唱える人であれば、この詭弁は、言うまでもなく「禁じ手」です。

  ところが案山子さんは、米国のイラク戦争を正当化しようとする時、常に米国の「意図、目的の正当性」を主張されてきました。   「侵略戦争であっても正当な場合がある」と言う時の「正当性」は、つまるところ意図、目的を根拠にしてきたわけです。

  行為としての「普遍の正義(あるいは悪)」は行為者、時代、文化、国の別なく不変の評価を持つと同時に、意図、目的の如何にかかわらず不変の評価がなければなりません。さらに言うなら「その行為が、如何なる結果に繋がろうが…」も付け加えるべきです。

  私は功利論者ですから、行為の評価に際しては、目的、意図、結果を重視しますが、案山子さんがもし絶対善悪論者であれば、それらを超越した次元で善悪基準を提示しなければならないはずです。

  案山子さんは、イラク戦争や原爆議論で「禁じ手」の功利論を展開していながら、「普遍の正義」を論争の逃げ道に使っておられます。その論法こそが欺瞞、偽善であり「その場限りの行き当たりばったり」と評される根源であると私は思いますが、皆さんは如何お考えでしょう?
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