nao-takato 2006-06-12 (1)
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/02/11 12:42 投稿番号: [102172 / 118550]
ラマディレポート1(4撃Q2楠$#12316;4撃R0楠j
ファルージャ再建プロジェクトで日本から送ったコンテナがイラクのラマディに到着直後、米軍の攻撃が激化しました。ちょうどその頃のラマディの様子を掲載します。
□□□□□□□□『平和を愛する人々への手紙』□□□□□□□□
僕はイラクの西、アンバールに家族と住んでいます。
いまのところ僕の家族、友人とも無事です…しかし、状況はとても悪く
……燃えた戦車が家の前にあり、我が家も一部が壊れました。
ひどい有様です……。
2006年4月22日
米軍はラマディのTameemで明らかな犯罪を犯しました。
米兵がイラク人の家を家宅捜索し、家の中で3人の男性を殺した
のです。この現場にいた女性は、ショックのあまり亡くなりました……。
米兵は理由もなしにそのような行為をしたと近所の人は言っています。
その日、戦闘はありませんでした。
バグダッド・テレビが、被害者と家を映し、それに関するレポートを
しています…。明らかなことは、米兵が理由もなく民間人3人の男性を
殺したということです!!!
僕は、この犯罪がさらに悪い状況を生むだろうと感じています。
この家族の親類は、必ず復讐のために攻撃するだろうから…。
米兵の犠牲者はさらに増えていくでしょう。
その夜、米軍は軍用機で大きな音をたて、私達を怖がらせ
ながら飛び去っていきました。
毎晩、今夜こそ安全だという確証が持てません…米兵は
家宅捜索をする時、いつも悪いことをしますから。
「僕たちは、それぞれ自分の家に住み、この街にいる。
だけど米兵と戦車、銃が毎日僕たちにさし向けられる…。
誰がこれを止めるの???僕たち?それとも貴方たち?」
と、僕は米兵たちに言いたい。
先週2006年4月29日
戦闘が始まりました。戦車が動き、米兵が3人の民間人を殺した時、
戦いは始まったのです。……兵士の数がますます増えていくのが
見えました。兵士が増員された理由は、民間人をたくさん殺すためだ
といえるでしょう。
……2人の子どもが狙撃兵に殺されました。
彼らは母親に伴われて、医者の元に駆け込んだのですが……。
一人は、ラマディの中心のAlmustafa個人病院の前で撃たれた
7歳の少女。もう一人は、家の前で友達と遊んでいて殺された8歳の男の子。
さらに、Almalaab地区と中央市場でも狙撃兵により5人以上の人が
殺されました。
彼らが殺された時、そこで戦闘が何も行われていなかったにもかかわ
らず、狙撃兵により銃撃されたのです。
占領軍は、僕の家の通りに沿った家々を占拠し、狙撃兵の活動を
広げようとしたけれど、レジスタンスが彼らを攻撃したので、
そのもくろみは失敗しました。
しかしついに今日、米軍(陸軍)は4時間を期限として家族全員、
家を明け渡すようにと警告してきたのです。
従わなければ、僕達は戦車に攻撃されるでしょう……!!
そして、現在、空き家になった家が狙撃兵の拠点に
なっています。……狙撃兵のひとりが僕の父を銃撃しましたが、
弾は逸れました。車の後部ガラスが割られました…。
僕の父(65歳)は温和な性格の男です……。
僕たち家族は再び引越しを計画したけれど、行くべき
場所がありません。
2006年4月30日
2時過ぎに占領軍は家から人々を追い出す為の新しい方法を
使いました。新しい方法とは、家の門に道路爆弾を置き
爆発させることです。すべての家族が行くべき場所がないにも
かかわらず、この方法で恐怖に陥れられました……。
ある人が言いました。
「占領軍は、自分たちの車両を安全に通す為に、俺たちの区域を
ほしがっているんだ。ハバニーヤ(ラマディの東20キロ)から
バグダーディの米軍基地(ラマディの西の120キロ)に行くには、
ラマディの北を通れば近道だろ」と。
ファルージャ再建プロジェクトで日本から送ったコンテナがイラクのラマディに到着直後、米軍の攻撃が激化しました。ちょうどその頃のラマディの様子を掲載します。
□□□□□□□□『平和を愛する人々への手紙』□□□□□□□□
僕はイラクの西、アンバールに家族と住んでいます。
いまのところ僕の家族、友人とも無事です…しかし、状況はとても悪く
……燃えた戦車が家の前にあり、我が家も一部が壊れました。
ひどい有様です……。
2006年4月22日
米軍はラマディのTameemで明らかな犯罪を犯しました。
米兵がイラク人の家を家宅捜索し、家の中で3人の男性を殺した
のです。この現場にいた女性は、ショックのあまり亡くなりました……。
米兵は理由もなしにそのような行為をしたと近所の人は言っています。
その日、戦闘はありませんでした。
バグダッド・テレビが、被害者と家を映し、それに関するレポートを
しています…。明らかなことは、米兵が理由もなく民間人3人の男性を
殺したということです!!!
僕は、この犯罪がさらに悪い状況を生むだろうと感じています。
この家族の親類は、必ず復讐のために攻撃するだろうから…。
米兵の犠牲者はさらに増えていくでしょう。
その夜、米軍は軍用機で大きな音をたて、私達を怖がらせ
ながら飛び去っていきました。
毎晩、今夜こそ安全だという確証が持てません…米兵は
家宅捜索をする時、いつも悪いことをしますから。
「僕たちは、それぞれ自分の家に住み、この街にいる。
だけど米兵と戦車、銃が毎日僕たちにさし向けられる…。
誰がこれを止めるの???僕たち?それとも貴方たち?」
と、僕は米兵たちに言いたい。
先週2006年4月29日
戦闘が始まりました。戦車が動き、米兵が3人の民間人を殺した時、
戦いは始まったのです。……兵士の数がますます増えていくのが
見えました。兵士が増員された理由は、民間人をたくさん殺すためだ
といえるでしょう。
……2人の子どもが狙撃兵に殺されました。
彼らは母親に伴われて、医者の元に駆け込んだのですが……。
一人は、ラマディの中心のAlmustafa個人病院の前で撃たれた
7歳の少女。もう一人は、家の前で友達と遊んでいて殺された8歳の男の子。
さらに、Almalaab地区と中央市場でも狙撃兵により5人以上の人が
殺されました。
彼らが殺された時、そこで戦闘が何も行われていなかったにもかかわ
らず、狙撃兵により銃撃されたのです。
占領軍は、僕の家の通りに沿った家々を占拠し、狙撃兵の活動を
広げようとしたけれど、レジスタンスが彼らを攻撃したので、
そのもくろみは失敗しました。
しかしついに今日、米軍(陸軍)は4時間を期限として家族全員、
家を明け渡すようにと警告してきたのです。
従わなければ、僕達は戦車に攻撃されるでしょう……!!
そして、現在、空き家になった家が狙撃兵の拠点に
なっています。……狙撃兵のひとりが僕の父を銃撃しましたが、
弾は逸れました。車の後部ガラスが割られました…。
僕の父(65歳)は温和な性格の男です……。
僕たち家族は再び引越しを計画したけれど、行くべき
場所がありません。
2006年4月30日
2時過ぎに占領軍は家から人々を追い出す為の新しい方法を
使いました。新しい方法とは、家の門に道路爆弾を置き
爆発させることです。すべての家族が行くべき場所がないにも
かかわらず、この方法で恐怖に陥れられました……。
ある人が言いました。
「占領軍は、自分たちの車両を安全に通す為に、俺たちの区域を
ほしがっているんだ。ハバニーヤ(ラマディの東20キロ)から
バグダーディの米軍基地(ラマディの西の120キロ)に行くには、
ラマディの北を通れば近道だろ」と。
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