対イラク武力行使

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Re: 横Re: キチガイに刃物

投稿者: bonno_216 投稿日時: 2007/01/26 06:49 投稿番号: [101186 / 118550]
>イギリスからの独立であって、バスラ州からの独立ではないでしょう。

  これもちょっと違います。第一次世界大戦後のアラブ諸州は、英仏の取り決めで複数の王国へと分割されました。1920年代にファイサル王を首長とするイラク王国が成立したとき、英国はクウェートを含むイラク地方全域を「保護統治領」としました。

  イラクの独立は1932年で、これは英国からの「部分独立」だとみとめられます。なぜなら、英国はその時クウェートの領有をイラク王国に認めなかったからです。

  ヨーロッパ列強からの独立の歴史では、この「部分独立」が多く見られます。仏領インドシナでベトナムが独立したとき、フランスはそれに対抗するため、バオダイ政府(南ベトナム)という新しい国を作っています。

  クウェートも、この南ベトナムと同じような経緯で創作された国家です。歴史的に、クウェートがイラク文化圏であることは誰もが認めることですが、国境の策定にあたって、宗主国の都合が影響し、人造国家クウェートが作られた…というのが正しい歴史認識です。

  その意味では、イラクもヨルダンもシリアも、元は一つの文化圏であったものが、英仏の都合で複数の国家に分断されたものです。アラブやアフリカ諸国の国境が不自然な直線だらけになったのは、そういう理由なのです。大きな山脈や大河のように「自然境界」があって、歴史的にそれぞれ異なった文化圏が誕生し、それが個々に独立して国家を形作るという、通常の国境策定ではありません。

  イラクもクウェートも「英国からの独立」ですが、もともとクウェート文化圏というものが存在していたのではなく、宗主国のイギリスが、イラク王国を属国に留め置く目的で、ペルシャ湾への出口を塞いだ結果、クウェートが誕生したのです。

  イラクのファイサル政権は、もともとが英国の傀儡であったため、クウェートの領有問題は両国の深刻な対立を招きませんでしたが、1958年にイラクでカセム准将によるクーデターが起こり、イラク共和国が設立されると、英米とイラクは資源を巡る深刻な対立関係になりました。

  そんな中で英国は1961年、クウェートを独立させたのです。これは、クウェート文化圏の住民たちが、イギリスから「独立」を勝ち取ったのではなく、元宗主国の都合で、イラク共和国に対抗するため独立国家が「創作」されたのだと考えるべきでしょう。

  人造国家という意味ではイスラエルもそうですが、私はクウェートやイスラエルを国家として認めないと言っているのではありません。ただ、そうした歴史認識を持たないと、アラブ、パレスチナ問題は理解できませんので、エバさんには、もっと勉強してほしいなぁ…と言っているのです。
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