現地のドメスティックな文化なり
投稿者: tommy39dec3 投稿日時: 2004/06/21 21:06 投稿番号: [417 / 1982]
生活習慣なりをどのように残しながら、押し寄せてくる外国の文物やもの(社会インフラから家電品、衣食住に関わるもの全般)、思考様式や価値観に足をすくわれないで(地に足付けて)、当たり前の日常生活が維持できるか、にはけっこう悩まされてました。
拒否できない現実の前に、いかにうまく流れを泳いでいくか、は彼らと日常的にお付き合いをしている外部を知るものとして、頭から離れませんでした。
もう一つ悩むのは、現地の人さえ(政府関係者とか)気がついていないドメスティックなもの(エスニシティとでも言うべきか?)に気がついてしまったときです。つまりなんと言うか、彼ら自身が考えているものを越えた多様性や階層が見えてきてしまう場合、なかなか微妙で、賢明さを要する立場に立たされてしまうことがあります。
下手な対応は誰のためにもならないと言うことは、痛いほどわかるのですが、じゃあどうすればいいか、となると、暗中模索が続きます。
どのレベルで支援をするのか、自他の距離感を見失うと厳しいでしょうね。
楽観的になりきれなかった(笑)。
これは メッセージ 416 (t00k2004 さん)への返信です.
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