battamama様&oxnardnokakashi様へ
投稿者: urbannet2 投稿日時: 2005/04/03 08:09 投稿番号: [649 / 1657]
battamama様
君が代の由来について、リンクありがとうございます。
後半のヘブライ語関係のことはたぶんまだ学界では未解決の問題だろうとおもいますが、前半の出典にかんしては妥当だとおもわれます。
私もいくつかのサイトをあたってみましたが、祝歌であること、作者未詳であること、君がだれかは明確ではないが、親しい相手(天皇もふくまれるかもしれない)をさす、ということはほぼ認められているようですね。
◇ ◇
oxnardnokakashi様
米国での思想信条の自由について、ありがとうございます。
思想信条の自由がみとめられている社会では、おっしゃるとおり、公立学校内での宗教的な活動は、生徒による自主的なものであれば、原則としてみとめられるべきだとおもいます。
過度の宗教活動、たとえば他の生徒への布教などを、公立学校内で生徒がおこなっている場合には、学校は禁止するべきだとおもいます。しかしどの程度までをみとめるかについては個々の事例によって判断されるべきです。
有名な事件ですが、政教分離がもっとも厳格な国のひとつ、フランスの公立高校で以前あった、イスラム教徒の女生徒による学内解放区創設の事件。
周知のようにあの学内解放区は、結局、学校側によって禁止されました。
学内解放区を禁止したことは、生徒の信教の自由より学校の秩序の優先という意味でやむをえないだろう、と、私はおもいます。
しかしこの事件の学校側の措置にかんして、少数派宗教への弾圧であり、生徒の信教の自由の弾圧だ、という批判は根づよく存在するそうです。
たしかに見方を変えればそうとも言える、ともおもいます。
こういう事件では、ひとつの見方だけで社会が団結するのもまた全体主義的といえるでしょう。
現実的にひとつの措置がおこなわれることは当然ではありますが。
お書きになっているヘンデルのハレルヤコーラス禁止の件は、やりすぎだと私もおもいます。
公立学校の音楽については、そういう意味では日本のほうが米国より寛容ではないかな……米国は日本とことなり多民族/多文化/他宗教社会ですので、逆に言えば非寛容な部分がでてくることもありえましょうね。
つまりたとえばイスラム教徒の生徒などが、たとえ生徒の自主的な活動であっても、ハレルヤコーラスの学内演奏に反対したら、学校側は少数派の尊重という意味からいって反対しづらい場合があるのでは。
上記フランスのイスラム教徒学内解放区禁止とは、結果はおなじにみえますが、少数派宗教の生徒に公立学校がどう対応するかの点では、逆ですね
=つまりこれらの事例では、フランスは少数派弾圧、米国は少数派尊重とはいえる=
日本の公立学校の音楽教科書には、ヘンデル、バッハはじめキリスト教音楽の鑑賞も載っています。
ただ公立学校生徒に授業や学校行事であきらかにキリスト教音楽を演奏することは、多少ひかえられているのではないかな。=生徒の自主的な活動として学内でおこなう、つまりクリスマスソングを学内で生徒が自主的にうたう程度はゆるされていますが=
たとえば、合唱コンクールの定番の『大地賛頌』という著名な曲がありますが、たぶん公立学校の合唱コンクールでは、宗教色のあまりないあの曲しか教えません。
周知のようにあの曲の作詞はキリスト教徒の詩人の手になり、カンタータの一部です。
カンタータを全部通して聞くと、明確にキリスト教の思想および反戦思想の歌詞であることがわかります。
あの曲だけきいている分には、キリスト教思想も反戦思想もわかりませんけれどね。
君が代の由来について、リンクありがとうございます。
後半のヘブライ語関係のことはたぶんまだ学界では未解決の問題だろうとおもいますが、前半の出典にかんしては妥当だとおもわれます。
私もいくつかのサイトをあたってみましたが、祝歌であること、作者未詳であること、君がだれかは明確ではないが、親しい相手(天皇もふくまれるかもしれない)をさす、ということはほぼ認められているようですね。
◇ ◇
oxnardnokakashi様
米国での思想信条の自由について、ありがとうございます。
思想信条の自由がみとめられている社会では、おっしゃるとおり、公立学校内での宗教的な活動は、生徒による自主的なものであれば、原則としてみとめられるべきだとおもいます。
過度の宗教活動、たとえば他の生徒への布教などを、公立学校内で生徒がおこなっている場合には、学校は禁止するべきだとおもいます。しかしどの程度までをみとめるかについては個々の事例によって判断されるべきです。
有名な事件ですが、政教分離がもっとも厳格な国のひとつ、フランスの公立高校で以前あった、イスラム教徒の女生徒による学内解放区創設の事件。
周知のようにあの学内解放区は、結局、学校側によって禁止されました。
学内解放区を禁止したことは、生徒の信教の自由より学校の秩序の優先という意味でやむをえないだろう、と、私はおもいます。
しかしこの事件の学校側の措置にかんして、少数派宗教への弾圧であり、生徒の信教の自由の弾圧だ、という批判は根づよく存在するそうです。
たしかに見方を変えればそうとも言える、ともおもいます。
こういう事件では、ひとつの見方だけで社会が団結するのもまた全体主義的といえるでしょう。
現実的にひとつの措置がおこなわれることは当然ではありますが。
お書きになっているヘンデルのハレルヤコーラス禁止の件は、やりすぎだと私もおもいます。
公立学校の音楽については、そういう意味では日本のほうが米国より寛容ではないかな……米国は日本とことなり多民族/多文化/他宗教社会ですので、逆に言えば非寛容な部分がでてくることもありえましょうね。
つまりたとえばイスラム教徒の生徒などが、たとえ生徒の自主的な活動であっても、ハレルヤコーラスの学内演奏に反対したら、学校側は少数派の尊重という意味からいって反対しづらい場合があるのでは。
上記フランスのイスラム教徒学内解放区禁止とは、結果はおなじにみえますが、少数派宗教の生徒に公立学校がどう対応するかの点では、逆ですね
=つまりこれらの事例では、フランスは少数派弾圧、米国は少数派尊重とはいえる=
日本の公立学校の音楽教科書には、ヘンデル、バッハはじめキリスト教音楽の鑑賞も載っています。
ただ公立学校生徒に授業や学校行事であきらかにキリスト教音楽を演奏することは、多少ひかえられているのではないかな。=生徒の自主的な活動として学内でおこなう、つまりクリスマスソングを学内で生徒が自主的にうたう程度はゆるされていますが=
たとえば、合唱コンクールの定番の『大地賛頌』という著名な曲がありますが、たぶん公立学校の合唱コンクールでは、宗教色のあまりないあの曲しか教えません。
周知のようにあの曲の作詞はキリスト教徒の詩人の手になり、カンタータの一部です。
カンタータを全部通して聞くと、明確にキリスト教の思想および反戦思想の歌詞であることがわかります。
あの曲だけきいている分には、キリスト教思想も反戦思想もわかりませんけれどね。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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