ども、ども、毎度お騒がせっす
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2005/03/18 14:12 投稿番号: [270 / 1657]
脱線だらけの上に能天気なアセアンでございます(笑)
キャスターさんが仰っていたように、僕は「ある一つの表現が
その地域、地域によって全く違う解釈をされる」ということを
知って貰いたいんですね。
ですから、ロンロンさんが仰っていることも、カカシさんが
仰る過激な(スンマセン)アメリカ理論も分からないではないんです。
ただ、それは一見、一般論のように見えても実は一般論ではないんだ
っということを理解して貰いたい訳です。
例えば「社会に貢献する」という表現はその典型だと思いますが
日本語だとそう大上段な意味を持っていないように感じるとは
思いますが、ほとんどの第三世界ではこの表現は全く「庶民感覚」
とは相容れない、100%無縁な概念として成立している。
(この関連語でもあると思われる、慈善、善意、奉仕等も同様で
全く庶民感覚には受け入れることが出来ない概念でしかない)
簡単に言うとこの概念は全て「金持ちがやること」であって
一般庶民には「思いつきもしない概念」でしかない訳です。
ですんで「この理屈が分からないはずはない」という前提で
様々な話が行われると正直な所「いやぁ〜ちょっと待ってくれぃ!」っとなる(苦笑)
ウニゾさんが書いてらっしゃまいすが、違う価値観を丸呑みする
ってのは相当に難しいのは事実でもあるんですね。
(語学を学ぶってのにも似ているかなぁ?)
本当はこの手法ってのはかなり危険で、自我というか
自分のアイデンティティの問題が発生はするんですけどね。。。
ただ、僕がこうして日本語の掲示板に出てくるか?っというと
先進国でもあり高学歴でもある日本の人達が自分達と全く違う
価値観をそれこそ、その先進性と高学歴によって
柔軟に理解出来るのではないかなぁ・・・っというのがあるんですけどね。
取り合えずした
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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