イラク戦争

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1920年蜂起:シーア派とスンニ派の共闘①

投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2004/05/04 06:39 投稿番号: [98 / 5091]
「イラクの歴史」(明石書店)

  歴史的諸条件の違いを無視して、単純に歴史的アナロジーを行うことは間違い
だと思います。
  その上で、「1920年のイラクでの武装蜂起:シーア派とスンニ派の共闘」と
いうことは、その経緯、背景、蜂起敗北後のことも含めて、一つの参考にはなる
と思います。



  第一次大戦後、1920年4月のサンレモ会議でイギリスはイラクの委任統治権を
得た。
  統治のための国家評議会を設置した。
  この評議会の大半が英国の官僚によって構成され、英国人の厳格な従属下に
イラク人を加えた。

  当時の政治勢力としては、
・アフド党:スンナ派と、旧オスマントルコ政権中枢
・独立防衛協会:シーア派

・カルバラで大アヤトラが英国行政府での勤務は違法であるとのファトワを出す
  これを受けて、独立防衛協会、シーア派学者、部族長が会合
・バグダードを中心に、平和的な抗議デモ

・5月:バグダードで委任統治を糾弾する大規模な集会
  スンニ派とシーア派のモスクで順番に集会が行われる。

・6月:憲政議会選挙が行われると発表

  8月まで英国治安部隊と諜報機関の活動が強化されたために、バグダードに
  おける組織化された大衆反対運動は事実上不可能となった。
  しかし、反対運動はバグダード以外の地域で勢いを得た。
  ユーフラテス川中流域の主要な部族のシェイフ達が英国占領軍への抵抗の可能
  性について話し合った。ナジャフやカルバラの反対勢力と連絡を取り合った。
  部族構成員の土地貸借、課税、英国行政府が彼らの経済状態に及ぼすであろう
  介入に対して懸念が表明された。
  地方固有の動機が働いている場合も多かった。
  英軍がまばらに展開していることは明らかで、英国の占領について本国政府の
  継続的な懸念の声はイラクまで達していた。
  このため、武装蜂起がイラクから英軍を駆逐することはできないにしろ、少な
  くとも英軍の撤退を早めることができるであろうという見方が生じていた。

・6月末:いくつもの偶発的な事件が引き金となり、武装蜂起が発生
  アヤトラの息子が逮捕された後、アヤトラは武装蜂起をうながすように見える
  ファトワを出した。
・英国当局は蜂起を予防するために、ユーフラテス川中流域の多くの部族長を
  逮捕したが、これは全く逆の効果をもたらした。
・ナジャフとカルバラの強力な連携
  強力に武装した反英部族の展開
・7月:ユーフラテス川中流域のほとんどは反乱者の手中に落ちた。
     反乱はユーフラテス側下流域、北部地域、バグダードの東西に拡大
     南部クルド族長が反乱し、ペルシャ国境に近いかなりの町を掌握
     (クルド人はアラブ部族民と協調している訳ではない)

  反乱の広がりは、英国の支配が地方の指導者の状況にいかなる影響を及ぼすの
かという、地方の指導者達の見解に左右されていた。
  クートやアマーラ地域の部族のシェイフ達は反乱に参加することを拒んだばか
りではなく、反乱に抵抗した。
  これらの部族と彼らの大規模土地所有は英国当局によって承認されていた。

・10月末までにナジャフとカルバラも降伏

  反乱による死者は、推定6000名のイラク人と約500名の英国及びインド
人兵士
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