聖書、コーランなど
投稿者: battamother 投稿日時: 2004/05/09 10:25 投稿番号: [697 / 5091]
新約聖書は神の言葉を預かったとされる預言書(予言書ではない)であり、そしてイエスの弟子達による口伝の記録です。
一方コーランはモハメットが直接啓示を受けて成されたものとなっています。
少なくとも聖書においては西暦500年代の、時の権力であった協会による会議により、一部意図的に改訂と削除がなされたとされています。(例えば輪廻転生の部分とか)
つまり教会側の利害によって歪曲されてしまっている部分があるということが一つ。
そして、残された部分に示唆されている真の意味が、人々に正しく理解されず曲解されていき、やがて色んな形に広がっていった。
旧約聖書の教義に基づく宗派、新約聖書のみに基づく宗派。あるいはその両方を併せての教義からなる宗派等々。
新しいところでは、1830年アメリカ人ジェセフ=スミスが創立した傍系的キリスト教で、モルモン教を教典とする末日聖徒イエス=キリスト教会。
輸血拒否でもちょっと有名になったエホバの証人も聖書の教義を元にした宗教。
聖書から派生した宗教は他にも沢山ある。そして、そのどれもが我こそは聖書に添った教義であると主張している。
現在物議をかもしているイラクとアメリカの問題のみならず、かつてから世界では沢山の紛争が続いているとのこと。そのほとんどが宗教戦争だという。(アグネスちゃんの講演より)
かつて私が英語を教わった在日イラン人の方は、バハイ教だった。その教義の詳細は分からないが、コーランを読んでいた。
十人十色という言葉があるように、1つの教義からも10人寄れば、10人分の解釈が生まれる。
仮に聖書やコーランに立派なことがかかれているとしても、その解釈する側が解釈を誤れば違う結果が生ずる。そこに利権が混じり込むと更に厄介なことになる。
先のトピでも論じられていた精神文化の発達=戦争の放棄にはならないと同じ論理である。
ちなみに、私はカトリック系と、浄土真宗を背景とする高校及び大学(仏教大学ではない)に属していた者ではあるが、私個人はいずれの宗教にも属していない。
従って、宗教の専門家ではないので、アバウトな説明となっており、一部誤った記載があるかも知れないが、そこはご容赦願いたい。
一方コーランはモハメットが直接啓示を受けて成されたものとなっています。
少なくとも聖書においては西暦500年代の、時の権力であった協会による会議により、一部意図的に改訂と削除がなされたとされています。(例えば輪廻転生の部分とか)
つまり教会側の利害によって歪曲されてしまっている部分があるということが一つ。
そして、残された部分に示唆されている真の意味が、人々に正しく理解されず曲解されていき、やがて色んな形に広がっていった。
旧約聖書の教義に基づく宗派、新約聖書のみに基づく宗派。あるいはその両方を併せての教義からなる宗派等々。
新しいところでは、1830年アメリカ人ジェセフ=スミスが創立した傍系的キリスト教で、モルモン教を教典とする末日聖徒イエス=キリスト教会。
輸血拒否でもちょっと有名になったエホバの証人も聖書の教義を元にした宗教。
聖書から派生した宗教は他にも沢山ある。そして、そのどれもが我こそは聖書に添った教義であると主張している。
現在物議をかもしているイラクとアメリカの問題のみならず、かつてから世界では沢山の紛争が続いているとのこと。そのほとんどが宗教戦争だという。(アグネスちゃんの講演より)
かつて私が英語を教わった在日イラン人の方は、バハイ教だった。その教義の詳細は分からないが、コーランを読んでいた。
十人十色という言葉があるように、1つの教義からも10人寄れば、10人分の解釈が生まれる。
仮に聖書やコーランに立派なことがかかれているとしても、その解釈する側が解釈を誤れば違う結果が生ずる。そこに利権が混じり込むと更に厄介なことになる。
先のトピでも論じられていた精神文化の発達=戦争の放棄にはならないと同じ論理である。
ちなみに、私はカトリック系と、浄土真宗を背景とする高校及び大学(仏教大学ではない)に属していた者ではあるが、私個人はいずれの宗教にも属していない。
従って、宗教の専門家ではないので、アバウトな説明となっており、一部誤った記載があるかも知れないが、そこはご容赦願いたい。
これは メッセージ 692 (mikatakatekika さん)への返信です.
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