ホッカムリの剃刀
投稿者: welcome2thecivilization 投稿日時: 2005/01/21 02:01 投稿番号: [4431 / 5091]
おひさです、yankeejapanさん。
>簡潔な表現に辿り着くためには、多くの才能と努力が必要だ。知力・体力のみならず、転んでもただでは起きない粘り強さ・しぶとさが求められる。どんな現象も、もとから単純なものなど、ひとつとしてない。複雑に絡みあいもつれあうなかから本質を見極め、難しくなりがちな表現を、易しく深くそして明るく表現することが求められる。───大和総研コラム『オッカムの剃刀』より抜粋
オッカムの剃刀を振るうことの難点は、簡潔な表現のためには強い知性が求められることと同じくらい、それを理解する側にも相応のレベルの知性が求められること、これじゃないでしょうか。
苦闘して的確な言葉で表現しても、その一見単純な表現に至るまでの軌跡を読み手側が解釈してくれないと、せっかくの表現精錬作業が徒労に終わるだけでなく、誤解・曲解されるばかりなのです。
言語表現に関して言えば、節約の仕方はふた通りあります。
1.より限定的な単語を用いる。
この問題点は↑=日常的な言葉でないことでしょう。哲学書や思想書の多くがこのパターンを取るのも、日常表現の言葉には手垢が付きすぎていて、言葉の指示範囲が曖昧で表現の解釈に誤差が生じるため、そういったブレを少なくしてより正確に表現しようとすれば、どうしても断り書きの必要な専門用語──例えば対象を説明する言葉(記号)をシニフィアン(能記/指示部)などと書くように──を使うことで、不要な説明を省くことができるからです。
(なお念のために断っておくと、私の4417で記号論の用語が多用されているのは、この投稿が基本的にbreak_on_throughさんへの返信だからで、その文中にボードリヤールに関する言説があったからにすぎません。)
2.抽象表現に頼る。
聖書などの教典や、詩作品などの難解さはこれです。
たとえば一般に「人は死ぬ」とだけ書いた場合、それは文字通りの意味であれば人間が死ぬことだけの意味です。しかし、書き方・捉え方によっては単に肉体的な死だけではなく社会的・精神的な死もそこに含めることができるし、人間も生物である以上例外なく死が訪れるという事実を敢えて書くことによって「だからそれを忘れずに生を大切にせよ」というニュアンスも作れますね。さらに死なないものの存在(=神)を想わせたり、人間が原罪を背負っていることの因果を惹起させることすらも。
このように伝えたいことがたくさんある場合、読み手にそれを吟味する準備が整っていれば、抽象表現は少ない言葉でかなりの情報を伝えることができるのです。
……が。
1./2.何れの表現でも、相手の読解力〜教養に阿る部分が大きいのです。
特にココの各掲示板は、簡素化した表現ほどバイアスによって歪められる危険性が高いんですよね。
ある常連によると、この私は、別トピのある妙なランキングで『ウヨ虫』に分類されているようですが(失笑)、そういう「はじめに反論ありき」な人たちは、私の投稿に出てくる知らない単語についてはまるで調べようともせず(つまりそのセンテンスで説明されていること自体を無視して)、慎重な推敲による分かりやすい言葉で述べられた部分については、「こういう結論を書く人は、こういう人だ」との歪んだカテゴライズに基づいて曲解し、その結果私がオッカムの剃刀を振るった(篩った)経緯、つまりその段階で一体何を削ったり含ませたりしてその言葉に至ったのかを、結局改めて説明し直さなきゃならなくなってしまうのです。もっとも私のその善意も『壁』の前に99%徒労に終わるのですが。
私は、ココでそれを散々味わってきましたよ。
>簡潔な表現に辿り着くためには、多くの才能と努力が必要だ。知力・体力のみならず、転んでもただでは起きない粘り強さ・しぶとさが求められる。どんな現象も、もとから単純なものなど、ひとつとしてない。複雑に絡みあいもつれあうなかから本質を見極め、難しくなりがちな表現を、易しく深くそして明るく表現することが求められる。───大和総研コラム『オッカムの剃刀』より抜粋
オッカムの剃刀を振るうことの難点は、簡潔な表現のためには強い知性が求められることと同じくらい、それを理解する側にも相応のレベルの知性が求められること、これじゃないでしょうか。
苦闘して的確な言葉で表現しても、その一見単純な表現に至るまでの軌跡を読み手側が解釈してくれないと、せっかくの表現精錬作業が徒労に終わるだけでなく、誤解・曲解されるばかりなのです。
言語表現に関して言えば、節約の仕方はふた通りあります。
1.より限定的な単語を用いる。
この問題点は↑=日常的な言葉でないことでしょう。哲学書や思想書の多くがこのパターンを取るのも、日常表現の言葉には手垢が付きすぎていて、言葉の指示範囲が曖昧で表現の解釈に誤差が生じるため、そういったブレを少なくしてより正確に表現しようとすれば、どうしても断り書きの必要な専門用語──例えば対象を説明する言葉(記号)をシニフィアン(能記/指示部)などと書くように──を使うことで、不要な説明を省くことができるからです。
(なお念のために断っておくと、私の4417で記号論の用語が多用されているのは、この投稿が基本的にbreak_on_throughさんへの返信だからで、その文中にボードリヤールに関する言説があったからにすぎません。)
2.抽象表現に頼る。
聖書などの教典や、詩作品などの難解さはこれです。
たとえば一般に「人は死ぬ」とだけ書いた場合、それは文字通りの意味であれば人間が死ぬことだけの意味です。しかし、書き方・捉え方によっては単に肉体的な死だけではなく社会的・精神的な死もそこに含めることができるし、人間も生物である以上例外なく死が訪れるという事実を敢えて書くことによって「だからそれを忘れずに生を大切にせよ」というニュアンスも作れますね。さらに死なないものの存在(=神)を想わせたり、人間が原罪を背負っていることの因果を惹起させることすらも。
このように伝えたいことがたくさんある場合、読み手にそれを吟味する準備が整っていれば、抽象表現は少ない言葉でかなりの情報を伝えることができるのです。
……が。
1./2.何れの表現でも、相手の読解力〜教養に阿る部分が大きいのです。
特にココの各掲示板は、簡素化した表現ほどバイアスによって歪められる危険性が高いんですよね。
ある常連によると、この私は、別トピのある妙なランキングで『ウヨ虫』に分類されているようですが(失笑)、そういう「はじめに反論ありき」な人たちは、私の投稿に出てくる知らない単語についてはまるで調べようともせず(つまりそのセンテンスで説明されていること自体を無視して)、慎重な推敲による分かりやすい言葉で述べられた部分については、「こういう結論を書く人は、こういう人だ」との歪んだカテゴライズに基づいて曲解し、その結果私がオッカムの剃刀を振るった(篩った)経緯、つまりその段階で一体何を削ったり含ませたりしてその言葉に至ったのかを、結局改めて説明し直さなきゃならなくなってしまうのです。もっとも私のその善意も『壁』の前に99%徒労に終わるのですが。
私は、ココでそれを散々味わってきましたよ。
これは メッセージ 4425 (yankeejapan さん)への返信です.
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