責任ある決断、無責任な書生論
投稿者: real_days365 投稿日時: 2004/12/18 11:09 投稿番号: [3934 / 5091]
人間は常に決断を重ねて歴史を作る。
状況情報が不充分でも、施策検討の時間が足りなくても、
物理的準備が不充分でも、
決断を迫られる瞬間はやってくる。
どのような意思を持つモノであっても、
その思いを行動に移さないのなら
世界は『行動し続けたモノ』によって動き、
『動かなかったモノ』は、傍観者席に追い遣られ、
その意思が歴史に関わる機会は、永遠に失われる。
過去から学ぶことは大事だろう。
しかし、その時代、その時に決断を求められた人間への敬意を失ってはいけない。
過去から学んだことは、『今』の決断に生かすためのモノでなくてはならない。
ある決断の瞬間が、はるか過去に過ぎてから
その決断の周辺情報を収集し、ディベートに偽装して
批判の的にすることは簡単だ。
しかし、それはあまりにも下品なことではないだろうか?
『 今 』存在する『 特定 』の国や事件や人物を否定したいが為に繰り返される
代償行為の様な『 歴史回顧 』など
下種な『 政治活動 』や、過去の失敗を論い、批判するだけの書生論でしかない。
そんなコトを、いくら繰り返しても
馬鹿な思想洗脳戦闘員が出来るだけ。
どんな未来も作れはしない。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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