イラクで日本人拘束

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ファルージャの目撃者より 1

投稿者: chottolll 投稿日時: 2004/04/16 12:45 投稿番号: [70628 / 280993]
http://www.asahi-net.or.jp/~WG3A-YMNK/fa001.html

ジョー・ワイルディング
原文
2004年4月13日
転送・転載歓迎


長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。
そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。ファルージャで起きていることの真実
を明るみに出す必要があるのです。ハムーディ、私の思いはあなたとともにあります

2004年4月11日   ファルージャ
ファルージャ東部の高速道路で、トラックや石油タンカー、戦車が燃えていた。少年
と男たちの流れが、燃えていないローリーを行き来して、ローリーを裸にしていた。
私たちは、アブ・グライブ経由の裏道にまわり、持ち物をあまり持たない人々で一杯
の自動車が逆方向へ向かうのにすれ違いながら、道沿いにできた急ごしらえの軽食ス
タンドを通り過ぎた。ヌハとアフラルはアラビア語で歌っていた。スタンドの少年は
、バスの窓から、私たちと、そして今もファルージャにいる人々に、食べ物を投げ込
んでいた。
バスは、ファルージャの導師の甥が運転する車の後について進んでいた。彼はまた、
ムジャヒディーンと接触がある私たちのガイドでもあり、今回のことについてムジャ
ヒディーンと話をつけていた。私がこのバスに乗っていた理由は、と言えば、知人の
ジャーナリストが夜11時に私のところに来て、ファルージャの状況は絶望的であり、
手足が吹き飛ばされた子どもをファルージャから運び出していたと語ったことにある
。また、米軍兵士たちは、人々に、夕暮れまでにファルージャを離れよ、さもなくば
殺すと言っていた、と。けれども、人々が運べるものをかき集めて逃げ出そうとする
と、町はずれにある米軍の検問所で止められ、町を出ることを許されず、ファルージ
ャに閉じ込められたままで、日が沈むのを人々は見ていたと、彼が私に語ったことに

  −−(中略)−−
「こちらへ」。マキが言って、私を一人、ある部屋に案内した。そこには、お腹に受
けた銃の傷を縫い上げたばかりの、年老いた女性がいた。足のもう一カ所の傷には包
帯がまかれていたが、彼女が乗っているベッドには血が染み込んでいた。彼女は白旗
を今も手に握りしめていた。彼女の話も、同じである:「私が米軍の狙撃兵に撃たれ
たのは、家を出てバグダッドに向かおうとしているときでした」。街の一部は米軍海
兵隊に制圧されている。別の一部は地元の戦士たちが統制している。彼女たちの家は
、米軍が制圧した地域にある。彼女たちは、狙撃兵が米国海兵隊兵士であるという固
い確信を持っている。
米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。救急車と救助活動も麻
痺させている。ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな病院は米
軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されている。救急車は
、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。路上には遺体が転がった
まま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるので、誰も遺体を取り戻すことができ
ない。
  −−(中略)−−
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