善意が目的なら赦されるのか
投稿者: jajamaru333 投稿日時: 2004/04/14 12:57 投稿番号: [51421 / 280993]
私も阪神震災のとき、車に自分が10日間生き延びるだけの資材をつんで神戸に奔りました。手話通訳と児童のメンタルケアを目的にたった一人で。
多くの大学生が無造作に屯していました。手伝いに来たから食わせてくれ、泊めてくれ…って恩着せがましい甘えた顔をして。命令がない限り主体的判断で動けないロボットが衝動だけで集まってしまった吹き溜まりでした。
被災地に入る場合は、役に立つことだけが目的です。それが奉仕です。よいことをするんだから食わせろ、泊めてくれなんて、そんな甘えが自身の危機に対して「助けてくれ」なんぞという無様を演じる。崇高な理念には頭を下げる。そのプライドの裏づけは「測らずも自身の所在が寄り高い次元に障害になるなら自分で自身の所在を消す」という信念の元に奔っているのではなかったのか。敵か味方かという戦地に飛び込んでいきながら服毒自殺用のカプセルも持参しないプライドの無さは、人道支援を口にする資格は無いのでは?
もう一つ、戦後義務教育で多数が真実と刷り込まれた善良なる(?)市民は、石油利権が目的で侵略したノーてんき大国が口にする「テロ」を鵜呑みにするが、強大な破壊力で家に入り込んできて、人の魂まで破壊できると錯覚するノーてんきに魂の叫びとして弱い立場からのささやかな反抗をなぜレジスタンスとかパルチザンと呼ばないのか。強者の、多数の側の論理に疑問を持たないように飼育された素直な国民ではあることよ。
これは メッセージ 50943 (kouteipenguins さん)への返信です.
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