正義や大義と呼ばれるもの
投稿者: jiaffefwwdfa 投稿日時: 2004/04/13 01:06 投稿番号: [39045 / 280993]
正義や大義というものは、利己主義の延長上にあると考えられます。
まず多くの人にとって一番大事なものは自分の生命です。
次に家族の生命。その次には親戚や友人など自分に近しい人々。
その次には自分の属する企業などの集団でしょうか。
自分の生活を支えてくれるものです。会社が倒産すれば路頭に迷ってしまうかもしれませんから。
その次には国家でしょうか。国家が侵略され崩壊し日本が蹂躙されれば生活も何もありません。
このように自己から始まって階層的になっていると考えられます。
例えば、ここに国民が10人の国家があり貴方がそこに属しているとしましょう。
この国家に対し、敵対する国家が攻撃してきて、負ければ殺されたり奴隷にされるとすれば、
貴方は男性なら武器をもって戦うでしょう。
それとも自分の命が惜しいから傍観してるでしょうか。
ここで大義と小義というものに分けれると思います。
自分の命が小義、国家が大義です。
これらは時によって対立するときがあるのです。
こういった場合、人類は、より上位に属するものを大義としてきました。
10人の国家が攻められて自分が怖いからといって、
戦わなければみんなやられてしまうから、国家を優先することが社会的に正しいとしてきたのです。
個人の命より、国家のほうが大事だということです。
どこの国も攻められれば国民が兵士となって戦うのはこのことによります。
小義と大義が両立しない場合、大義が優先される。
この法則がなければ社会が成立しないのです。
今日、今までは国家というものが大義の最上位にあったのですが、
その上位に世界というものが認識されるようになってきました。
世界の秩序や平和が個人の命より優先されるのです。
この観点に立ってみれば、一体なにを基準に考えればいいのか?
テロリストに大義があるのか?
小泉の判断はどうなのか?
などなど分かりやすいかと思います。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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