イラクで日本人拘束

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横・命

投稿者: rundihorn_2004 投稿日時: 2004/12/01 01:11 投稿番号: [274593 / 280993]
ご無沙汰です、ラガさん。
横から、ごめんね。

最近、ちょっとだけはまった人物、吉田の寅ちゃん。その人の遺書の中の一文です。
彼の場合は、刑死ですが、やるべきことをしたという思いもあったのでしょう。
可能な限り、前に向って進む。
私の嫌いな長州の人間ではありますが、松代藩の佐久間氏門下だけのことはあります。
お話を読ませていただき、ちょっと思い出しました。
最後の、ここが好きです。
「私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、
  それは私のまいた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、
  収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう。」


  今日、私が死を目前にして落ち着いていられるのは、四季の循環というものを考えたからです。
  おそらくあの穀物の四季を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬それを蔵に入れます。
  秋や冬になると、人は皆その年働いて実った収穫を喜び、酒などを造って、村は歓声にあふれます。
  未だかつて、秋の収穫の時期に、その年の労働が終わるのを哀しむということは、聞いたことがありません。
  私は享年三十歳。一つも事を成せずに死ぬことは、穀物が未だに穂も出せず、
  実もつけず枯れていくのにも似ており、惜しむべきことかもしれません。
  されども私自身について言えば、これはまた、穂を出し実りを迎えた時であり、何を哀しむことがありましょう。
  何故なら人の寿命には定まりがなく、穀物のように決まった四季を経ていくようなものではないからです。
  十歳にして死ぬ者は、その十歳の中に自らの四季があります。
  二十歳には二十歳の中に自らの四季があり、三十歳には三十歳の中に自らの四季があり、
  五十歳や百歳にも、その中に自らの四季があります。
  十歳をもって短いとするのは、夏蝉を長寿の霊椿にしようとするようなものです。
  百歳をもって長いとするのは、霊椿を夏蝉にしようとするようなものです。
  それはどちらも、寿命に達することにはなりません。
  私は三十歳、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えましたが、
  それが中身の詰まっていない籾なのか、成熟した粟なのか、私には分かりません。
  もし、同志のあなた方の中に、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、
  それは私のまいた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、
  収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう。同志の皆さん、このことをよく考えてください。
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