raru babuさんの
投稿者: zeerarice 投稿日時: 2004/11/10 04:25 投稿番号: [272099 / 280993]
よく読んでないみたいですね。言っていることがめちゃくちゃです。
>アメリカはカンボジア国内のベトナムコンを叩くためにロン・ノル政権を支援。
当時シアヌークと組んでロン・ノル政権と戦っていたのがポル・ポト。
ベトナム撤退後、アメリカが用済みになったロン・ノル政権を見捨てて
カンボジア内戦終結。プノンペンを制圧したのがポル・ポト。
ご存じではないかも知れませんので親切心から付け加えますが、
クメール・ルージュがカンボジア人の虐殺を行っていたのは
ポル・ポト政権が倒れる前の話です。
説明して下さって、どうも。勉強になりました。
ところで、ロン・ヌル政権を米国が見捨ててカンボジア内戦終結っていつのことですか?内戦が終結したのにクメール・ルージュがわざわざ出て来て、虐殺を行ったのですか?
それでは日本のカンボジアPKOはおとぎ話になりますね。
内戦がおさまるのは1993年国連主導のもとに普通選挙が実施され、1997年のポル・ポトの死去によって、クメール・ルージュが力を失ってからです。
>ベトナムコン。ベトコンって読めば普通わかりますけど、冗談かと思われてもいけませんので(笑)
普通に読んで、分かりませんでした。
>余談ですがアメリカが追放後のポル・ポトを支援したのはポル・ポトがソ連を敵に回したからです。大虐殺中のポル・ポト政権は原始共産制と言われる共産主義でしたが、ポル・ポトに追われてベトナムに逃げ込んだヘン・サムリンがソ連に支援されるベトナムを巻き込んでプノンペン奪回を目指したため結果的にソ連と敵対する形となりました。アメリカはポル・ポトの大虐殺を支援したわけではありません。物事には順序というものがあります。よく考えましょう。(再)
これも文章がおかしくないですか。「ポル・ポト政権下の大虐殺」を米国が支援したと書いたでしょうか?大虐殺を行ったポル・ポトを米国は支援した、と言ったはずです。大虐殺をしたと知っていながら、追放されたポル・ポトをわざわざタイと中国を経由してまで、財政・軍事支援を開始したのです。カーター大統領の国家安全保障顧問だったズビグニュー・ブレジンスキーは、1979年の春にこう述べています。「私は、中国にポル・ポトを支援するよう促した。タイにも促した。問題は, カンボジアの人々をどうやって助けるかであった。ポル・ポトは忌まわしい存在だったので、直接、ポルポトを支援することはできなかった。けれども, 中国にはそれができた。」(Elizabeth Becker "When the War was Over: Cambodia and Khmer Rouge Revolution)
>残念でしたね〜。惜しいところだったんですけど^^
JFK暗殺に関する資料って1種類ではないんですよ(爆)
2039年に公開されるのはリンドン・ジョンソンの下で行われた調査リポートで、
ウォーレン委員会ファイルと呼ばれるものですね。
その後のカーター大統領時代にも暗殺問題調査委員会というのが
79年まで調査を続けていて、この資料が公開されるのが2029年なんです。
最終的にはウォーレンファイルが公開されなければ全貌はわかりませんが、
2029年に公開されるカーター委員会の資料で大半は明るみに出ると予想されています。
ジョンソンはJFK暗殺に関する資料の中で「重要書類や写真」は2039年まで公表されてはならないという行政命令を下しました。ですから2029年に大半が明るみに出たとしても、それはたいしてどうってことのない資料です。国家記録保存所(ナショナル・アーカイヴス)から暗殺に関する重要文献や証拠書類などが次々と紛失していると報告されていましたから、2029年に大半が明るみに出るのは、疑わしいですが。
>冗談ですよ。わかりにくかったですか?(^^;
ええ、分かりにくいです。とっても。
なんかことば遊びしているみたいですね。あなたの論法はほんとうに卑怯です。
>アメリカはカンボジア国内のベトナムコンを叩くためにロン・ノル政権を支援。
当時シアヌークと組んでロン・ノル政権と戦っていたのがポル・ポト。
ベトナム撤退後、アメリカが用済みになったロン・ノル政権を見捨てて
カンボジア内戦終結。プノンペンを制圧したのがポル・ポト。
ご存じではないかも知れませんので親切心から付け加えますが、
クメール・ルージュがカンボジア人の虐殺を行っていたのは
ポル・ポト政権が倒れる前の話です。
説明して下さって、どうも。勉強になりました。
ところで、ロン・ヌル政権を米国が見捨ててカンボジア内戦終結っていつのことですか?内戦が終結したのにクメール・ルージュがわざわざ出て来て、虐殺を行ったのですか?
それでは日本のカンボジアPKOはおとぎ話になりますね。
内戦がおさまるのは1993年国連主導のもとに普通選挙が実施され、1997年のポル・ポトの死去によって、クメール・ルージュが力を失ってからです。
>ベトナムコン。ベトコンって読めば普通わかりますけど、冗談かと思われてもいけませんので(笑)
普通に読んで、分かりませんでした。
>余談ですがアメリカが追放後のポル・ポトを支援したのはポル・ポトがソ連を敵に回したからです。大虐殺中のポル・ポト政権は原始共産制と言われる共産主義でしたが、ポル・ポトに追われてベトナムに逃げ込んだヘン・サムリンがソ連に支援されるベトナムを巻き込んでプノンペン奪回を目指したため結果的にソ連と敵対する形となりました。アメリカはポル・ポトの大虐殺を支援したわけではありません。物事には順序というものがあります。よく考えましょう。(再)
これも文章がおかしくないですか。「ポル・ポト政権下の大虐殺」を米国が支援したと書いたでしょうか?大虐殺を行ったポル・ポトを米国は支援した、と言ったはずです。大虐殺をしたと知っていながら、追放されたポル・ポトをわざわざタイと中国を経由してまで、財政・軍事支援を開始したのです。カーター大統領の国家安全保障顧問だったズビグニュー・ブレジンスキーは、1979年の春にこう述べています。「私は、中国にポル・ポトを支援するよう促した。タイにも促した。問題は, カンボジアの人々をどうやって助けるかであった。ポル・ポトは忌まわしい存在だったので、直接、ポルポトを支援することはできなかった。けれども, 中国にはそれができた。」(Elizabeth Becker "When the War was Over: Cambodia and Khmer Rouge Revolution)
>残念でしたね〜。惜しいところだったんですけど^^
JFK暗殺に関する資料って1種類ではないんですよ(爆)
2039年に公開されるのはリンドン・ジョンソンの下で行われた調査リポートで、
ウォーレン委員会ファイルと呼ばれるものですね。
その後のカーター大統領時代にも暗殺問題調査委員会というのが
79年まで調査を続けていて、この資料が公開されるのが2029年なんです。
最終的にはウォーレンファイルが公開されなければ全貌はわかりませんが、
2029年に公開されるカーター委員会の資料で大半は明るみに出ると予想されています。
ジョンソンはJFK暗殺に関する資料の中で「重要書類や写真」は2039年まで公表されてはならないという行政命令を下しました。ですから2029年に大半が明るみに出たとしても、それはたいしてどうってことのない資料です。国家記録保存所(ナショナル・アーカイヴス)から暗殺に関する重要文献や証拠書類などが次々と紛失していると報告されていましたから、2029年に大半が明るみに出るのは、疑わしいですが。
>冗談ですよ。わかりにくかったですか?(^^;
ええ、分かりにくいです。とっても。
なんかことば遊びしているみたいですね。あなたの論法はほんとうに卑怯です。
これは メッセージ 272057 (raru_babu さん)への返信です.
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