認識の重要性
投稿者: kfvkfkfkkffkff 投稿日時: 2004/11/01 17:55 投稿番号: [261703 / 280993]
コリアンが日本人を黙らせる「決めゼリフ」 で「われわれは日本政府によって強制連行されてきた」というのがあります。
しかし資料を見ると実は強制連行でそのまま住みついたという人々はごく少数であることが分かります。反日マスコミや反日コリアンはこの事実を知ったうえでの報道・発言でしょうか?
在日コリアン1世のほとんどが強制連行(徴用)と関係ないことは彼ら自身の調査で明らかです。
「アボジ聞かせて あの日のことを -我々の歴史を取り戻す運動報告書-」 1988 在日本大韓民国青年会中央本部刊
アンケート調査実施の概要
1.調査の対象 在日韓国人で1910年〜45年の間に日本に渡航してきた者(ただし、渡航時に満12歳未満の者は除く)
2.調査の時期 1982年10月25日〜1983年1月15日
3.調査の方法 国民登録台帳をもとに各地方に居住する在日朝鮮人の人数にほぼ比例するように調査票を割り当て、訪問面接による聴取を行なった。
アンケート回収数 1106名
これによると、大部分は本人の自発的な意思で渡日したもので、いわゆる"強制連行"が原因で日本に住みついた人は全体の13.3%しかいないことが分かります。しかし早い時期に渡日した人はすでに亡くなっていること、また家族の一員として渡って来た12歳未満の子供は含まれていないので割合はこれより下がります。さらに戦後渡ってきた者(密航?)を含めるとさらに低下します。
上記資料の分析で徴用(強制連行)数に疑問を呈しています。どうやら本当の強制連行者はさらに少なくなるようだ。
http://clashscan.hp.infoseek.co.jp/didi/zainiti_raireki.htm
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基本知識
1.1910年〜1945年までは、朝鮮半島は「大日本帝国」の一地方です。「徴用」「徴兵」に応じるのは、国民の義務です。
2.むしろ、1939年までは朝鮮→日本の渡航制限が敷かれていたほど。
2.終戦後、半島への帰国事業が行われ、運賃は全部日本政府持ちで半島に帰ることができました。
その上で。以下の記事をごらんあれ。密航してまで押し寄せる朝鮮の皆様。
『流込む鮮人を/堰止めて呉れ/福岡県から朝鮮総督府へ』
大阪朝日 1921/4/10 鮮満 〔〕 ・福岡 【渡航】
『慌てちゃいけない/便器で洗面/モダン留置場に入れられ/大喜びの密航朝鮮人(可部線)』 大阪朝日 1934/12/5 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】
『憧れの内地へ、が生む密航の悲劇/玄海を越える月百名の潜航者/頭を悩ます取締当局』 大阪毎日 1934/11/22 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『欺かれた鮮人密航団/四日間玄界灘を漂流し厳原で置き去らる』 大阪朝日 1931/3/19 夕 〔2/7〕 長崎・長崎 【密入国】
『密航者体裸で泳ぐ/鮮人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1926/6/12 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】
『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17 朝鮮朝日 〔〕 宇和島・愛媛 【渡航】
『モダーン留置場/いよいよ店開き/最初のお客さんは密航鮮人(可部線)』 芸備日日 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】
『「妻が見たい」/哀号・哀号/密航男還さる』 大阪朝日 1935/12/7 広島 〔〕 尾道・広島 【渡航】
『密航鮮人泣く/飲まず食はずに』 福岡日日 1930/8/25 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】
『命がけの密航/関釜連絡船の数十尺の/マストによぢ登り』 大阪朝日 1930/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航超特作/マストの先端に隠る』 京城日報 1930/5/2 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『三日不飲不食の密航二人鮮人(門司)』 門司新報 1931/11/22 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】
『命がけの密航/関釜連絡船の数十尺の/マストによぢ登り』 大阪朝日 1930/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『欺かれた鮮人密航団/四日間玄界灘を漂流し厳原で置き去らる』 大阪朝日 1931/3/19 夕 〔2/7〕 長崎・長崎 【密入国】
『密航朝鮮人を/船中で脅迫/所持金を全部巻上ぐ/海賊動揺の密航ブローカー』 大阪朝日 1930/5/21 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航鮮人少年/船で使ってくれと哀願す』 大阪毎日 1929/11/21 神毎 〔9/7〕 神戸・兵庫 【社会】
●なんて親切な総督府
『鮮人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍』 神戸新聞 1926/5/3 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【社会】
しかし資料を見ると実は強制連行でそのまま住みついたという人々はごく少数であることが分かります。反日マスコミや反日コリアンはこの事実を知ったうえでの報道・発言でしょうか?
在日コリアン1世のほとんどが強制連行(徴用)と関係ないことは彼ら自身の調査で明らかです。
「アボジ聞かせて あの日のことを -我々の歴史を取り戻す運動報告書-」 1988 在日本大韓民国青年会中央本部刊
アンケート調査実施の概要
1.調査の対象 在日韓国人で1910年〜45年の間に日本に渡航してきた者(ただし、渡航時に満12歳未満の者は除く)
2.調査の時期 1982年10月25日〜1983年1月15日
3.調査の方法 国民登録台帳をもとに各地方に居住する在日朝鮮人の人数にほぼ比例するように調査票を割り当て、訪問面接による聴取を行なった。
アンケート回収数 1106名
これによると、大部分は本人の自発的な意思で渡日したもので、いわゆる"強制連行"が原因で日本に住みついた人は全体の13.3%しかいないことが分かります。しかし早い時期に渡日した人はすでに亡くなっていること、また家族の一員として渡って来た12歳未満の子供は含まれていないので割合はこれより下がります。さらに戦後渡ってきた者(密航?)を含めるとさらに低下します。
上記資料の分析で徴用(強制連行)数に疑問を呈しています。どうやら本当の強制連行者はさらに少なくなるようだ。
http://clashscan.hp.infoseek.co.jp/didi/zainiti_raireki.htm
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基本知識
1.1910年〜1945年までは、朝鮮半島は「大日本帝国」の一地方です。「徴用」「徴兵」に応じるのは、国民の義務です。
2.むしろ、1939年までは朝鮮→日本の渡航制限が敷かれていたほど。
2.終戦後、半島への帰国事業が行われ、運賃は全部日本政府持ちで半島に帰ることができました。
その上で。以下の記事をごらんあれ。密航してまで押し寄せる朝鮮の皆様。
『流込む鮮人を/堰止めて呉れ/福岡県から朝鮮総督府へ』
大阪朝日 1921/4/10 鮮満 〔〕 ・福岡 【渡航】
『慌てちゃいけない/便器で洗面/モダン留置場に入れられ/大喜びの密航朝鮮人(可部線)』 大阪朝日 1934/12/5 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】
『憧れの内地へ、が生む密航の悲劇/玄海を越える月百名の潜航者/頭を悩ます取締当局』 大阪毎日 1934/11/22 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『欺かれた鮮人密航団/四日間玄界灘を漂流し厳原で置き去らる』 大阪朝日 1931/3/19 夕 〔2/7〕 長崎・長崎 【密入国】
『密航者体裸で泳ぐ/鮮人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1926/6/12 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】
『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17 朝鮮朝日 〔〕 宇和島・愛媛 【渡航】
『モダーン留置場/いよいよ店開き/最初のお客さんは密航鮮人(可部線)』 芸備日日 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】
『「妻が見たい」/哀号・哀号/密航男還さる』 大阪朝日 1935/12/7 広島 〔〕 尾道・広島 【渡航】
『密航鮮人泣く/飲まず食はずに』 福岡日日 1930/8/25 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】
『命がけの密航/関釜連絡船の数十尺の/マストによぢ登り』 大阪朝日 1930/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航超特作/マストの先端に隠る』 京城日報 1930/5/2 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『三日不飲不食の密航二人鮮人(門司)』 門司新報 1931/11/22 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】
『命がけの密航/関釜連絡船の数十尺の/マストによぢ登り』 大阪朝日 1930/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『欺かれた鮮人密航団/四日間玄界灘を漂流し厳原で置き去らる』 大阪朝日 1931/3/19 夕 〔2/7〕 長崎・長崎 【密入国】
『密航朝鮮人を/船中で脅迫/所持金を全部巻上ぐ/海賊動揺の密航ブローカー』 大阪朝日 1930/5/21 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航鮮人少年/船で使ってくれと哀願す』 大阪毎日 1929/11/21 神毎 〔9/7〕 神戸・兵庫 【社会】
●なんて親切な総督府
『鮮人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍』 神戸新聞 1926/5/3 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【社会】
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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