>>geennj999iさん
投稿者: geennj999i 投稿日時: 2004/10/31 08:01 投稿番号: [256226 / 280993]
人道的配慮と感情論の区別はおっしゃるとおり難しいですね。
人道的配慮の基は人の感情ですから。
でも感情論の定義は個人の私的な感情をもととした意見です。
それがある程度の人が人間として共感できるものが人道的配慮といわれるのです。
あいつ嫌いだから死ねってのは人道的配慮とは言わないでしょう。
大方の人間が人間としてこうするべきだよねってコンセンサスが得られないと人道的配慮といえないし言うべきではないでしょ。
それを≒で表現してるなら全面的に賛成です。
>でも、私は、惨殺の模様は、公開されるべきでないと考えますね。故人への配慮、ご家族への配慮、それを考える事は大切だし、必要だと思います。余りに、酷すぎます。公の興味を満たすためとか、いわゆる「見せしめ」として、公に注意喚起するには効果的とか、そういう考えで公開されたりするのは、間違いのように思います。惨殺されたという事実だけで十分ですし、その事実が伝えられてる以上のことは、必要でないと考えます。
原爆記念館についてはどうお考えですか?アウシュビッツは?と反論したいところですがそのレベルの議論ではないのですね。
ここまできたらどっちも五十歩百歩ですね。
公開すべきにも公開すべきでないにもどちらもそれなりの意見があると思います。
でも私は人がすべての得たい情報を得られることを重視します。それによって人間は人の痛みから、戦争の現実、それ以外にも様々なことを想像できるし、教訓にできるから。
あとは情報を流す場所ですよね。ここはしっかり考えなくてはいけません。
でも考えてみてください。この情報は世界のすべてのマスコミ、情報機関には配信されているのです。
なぜ個人はその情報に触れるべきではないのですか。
マスコミだけ知ってればいいいということにはならないのだと思います。
これは メッセージ 256183 (psycholunthe さん)への返信です.
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