右翼とは何か?
投稿者: htk5346 投稿日時: 2004/10/29 22:04 投稿番号: [250873 / 280993]
■こうした恥晒しが何ゆえに起こるか。理由は三つ。第一は既に述べた近代国民としての民度の低さ。法的命令のない限り国家に自由に逆らい得るのが国民だとの憲法的常識もなく、国民的活動に同感可能性を示しうるコモンセンスすらない。
■第二は2ちゃん的な「サヨ嫌い」の背景にある右翼左翼概念の未成熟。戦後日本は、日の丸に一体化するヘタレを「右」、赤色旗に一体化するヘタレを「左」と呼ぶ。「大いなるもの」に寄り縋るヘタレぶりにおいて目糞鼻糞。
■本来の概念では、政治的再配分を肯定するのが左で、否定するのが右。ネオリベで言えば、再配分を否定するから「小さな政府」となり、「小さな政府」で担えないから伝統的共同体や性別役割分業を「保守」する。
■古典的右翼とネオリベの違いは、前者が「伝統共同体の護持→小さな政府→集権的再配分の否定」となるのに、後者が「集権的再配分の否定(財政逼迫)→小さな政府→伝統的
共同体の護持」となる点。似ているが魂が異なる。
■極右とは古典的右翼のラディカル部分。米国で言えば「憲法修正第二条に基づいてリンチや謀叛を肯定する」ミリシア(民兵)。クリント・イーストウッドを見よ。日本で言えば「愛郷の志に基づく謀叛を肯定する」2・26青年将校や三島由紀夫の立場。
■番組で文科大臣に私はこう述べた。教育基本法に愛国心を書け。戦後初めて公教育において「国賊政治家ならびに奸臣これ討ってよし」の「愛国ゆえの謀叛」を堂々教えられると。政府に従うのを愛国と呼ぶヘタレ大臣は凍りついていた(笑)。
■政治的再配分を肯定する左はマルクス主義からリベラリズムまで含む。今日では以下の二つを区別せよ。国家による集権的再配分を重視するか。ローカルな自律的相互扶助に基
づく分権的再配分を重視するか。
■マルクス主義は集権的再配分、社会福祉政策も集権的再配分、田中角栄から経世会に連なる補助金交付金行政も集権的再配分。どれも自律的相互扶助のシステムを壊滅させる点で共通する。
■これに対し、アジア主義者、アナーキスト、アンチスターリニズムを主張した極左の一部、ネオリベに対抗する新社会民主主義としての「第三の道」を主張する者は、自律的相互扶助のシステムを擁護してきた。
■興味深いことに、集権的再配分に抗してローカルな共同体の自律的相互扶助を擁護する 点で極右と極左は円環する。違いは「内在」ならざる「超越」を肯定するか否か。三島由
起夫の全共闘への条件付きシンパサイズはそうした理路だ。
■右と左の本義を忘れた戦後日本的な茶番は何に由来するか。後発近代化国ゆえの枢軸国的メンタリティ。ムラの外に出られない田吾作どもを大いなる国家へと糾合して一挙に国民化を図ったファシズム的近代化のせいだ。むろん後進性の証。
■政府の言い訳は、米艦船の行き先について米国政府から報告がなかったと。だが戦略行為を事前に報告するわけがない。ならば集団的自衛権の不行使は「絵に描いた餅」。それ
を五十年以上も放置して来たなら、放置こそが国民の憲法意思だ。
■今さら九条を楯に米国に事態の変更は迫れない。国民の憲法意思が変更されたことを示すイベントが皆無だから。以上のように九条には「対米ケツ舐め的な集団自衛権行使」を翼賛する。
■冷戦体制崩壊後の国連中心主義は、国連理想主義と関係ない。軍事力を一極集中した米国の言うがままにならないための手練手管。だから国連の決定なら正しいとは限らない。
であればこそ正しい決定を出力すべく国連で奮闘する責務を日本も負う。
■「馬鹿の一つ覚え」と言えば「右」も目糞鼻糞。自衛隊を外に出しさえすりゃ一人前? 三島由紀夫なら即死する。米国のケツを舐めてる間は一人前はない。
■第二は2ちゃん的な「サヨ嫌い」の背景にある右翼左翼概念の未成熟。戦後日本は、日の丸に一体化するヘタレを「右」、赤色旗に一体化するヘタレを「左」と呼ぶ。「大いなるもの」に寄り縋るヘタレぶりにおいて目糞鼻糞。
■本来の概念では、政治的再配分を肯定するのが左で、否定するのが右。ネオリベで言えば、再配分を否定するから「小さな政府」となり、「小さな政府」で担えないから伝統的共同体や性別役割分業を「保守」する。
■古典的右翼とネオリベの違いは、前者が「伝統共同体の護持→小さな政府→集権的再配分の否定」となるのに、後者が「集権的再配分の否定(財政逼迫)→小さな政府→伝統的
共同体の護持」となる点。似ているが魂が異なる。
■極右とは古典的右翼のラディカル部分。米国で言えば「憲法修正第二条に基づいてリンチや謀叛を肯定する」ミリシア(民兵)。クリント・イーストウッドを見よ。日本で言えば「愛郷の志に基づく謀叛を肯定する」2・26青年将校や三島由紀夫の立場。
■番組で文科大臣に私はこう述べた。教育基本法に愛国心を書け。戦後初めて公教育において「国賊政治家ならびに奸臣これ討ってよし」の「愛国ゆえの謀叛」を堂々教えられると。政府に従うのを愛国と呼ぶヘタレ大臣は凍りついていた(笑)。
■政治的再配分を肯定する左はマルクス主義からリベラリズムまで含む。今日では以下の二つを区別せよ。国家による集権的再配分を重視するか。ローカルな自律的相互扶助に基
づく分権的再配分を重視するか。
■マルクス主義は集権的再配分、社会福祉政策も集権的再配分、田中角栄から経世会に連なる補助金交付金行政も集権的再配分。どれも自律的相互扶助のシステムを壊滅させる点で共通する。
■これに対し、アジア主義者、アナーキスト、アンチスターリニズムを主張した極左の一部、ネオリベに対抗する新社会民主主義としての「第三の道」を主張する者は、自律的相互扶助のシステムを擁護してきた。
■興味深いことに、集権的再配分に抗してローカルな共同体の自律的相互扶助を擁護する 点で極右と極左は円環する。違いは「内在」ならざる「超越」を肯定するか否か。三島由
起夫の全共闘への条件付きシンパサイズはそうした理路だ。
■右と左の本義を忘れた戦後日本的な茶番は何に由来するか。後発近代化国ゆえの枢軸国的メンタリティ。ムラの外に出られない田吾作どもを大いなる国家へと糾合して一挙に国民化を図ったファシズム的近代化のせいだ。むろん後進性の証。
■政府の言い訳は、米艦船の行き先について米国政府から報告がなかったと。だが戦略行為を事前に報告するわけがない。ならば集団的自衛権の不行使は「絵に描いた餅」。それ
を五十年以上も放置して来たなら、放置こそが国民の憲法意思だ。
■今さら九条を楯に米国に事態の変更は迫れない。国民の憲法意思が変更されたことを示すイベントが皆無だから。以上のように九条には「対米ケツ舐め的な集団自衛権行使」を翼賛する。
■冷戦体制崩壊後の国連中心主義は、国連理想主義と関係ない。軍事力を一極集中した米国の言うがままにならないための手練手管。だから国連の決定なら正しいとは限らない。
であればこそ正しい決定を出力すべく国連で奮闘する責務を日本も負う。
■「馬鹿の一つ覚え」と言えば「右」も目糞鼻糞。自衛隊を外に出しさえすりゃ一人前? 三島由紀夫なら即死する。米国のケツを舐めてる間は一人前はない。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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