4.30記者会見の続き
投稿者: zutto_sobani_ite_ne 投稿日時: 2004/09/27 13:39 投稿番号: [240083 / 280993]
ビデオ撮影の様子
今井 で、ビデオ撮影をする現場なんですけれども、まずはですね、あの、僕らぜんぜん分かんなかったんですけれども、まずビデオカメラを持った人がやってきます。で、並べられて、後ろに兵士たちがいると。なんか知らないんですけれども「泣いてくれませんか」ということをゼネラルに言われたと高遠さんが言われたと言っていました。で、自分なんだか分かんなかったんですけれども、とにかくすごい剣幕で急に変わり出すんですよ、その優しい笑顔から急に「ノー コイズミ」「ノー コイズミ」ということを迫られて。僕の場合は、ナイフをここにやられて。で、後、例えば銃のそれがジャラジャラしていたりとか、髪をひっぱられるとか、足を蹴られるとか、するんですよ。ものすごい恐怖なんですよ。
で、そういうような状況で、ビデオ撮影が行われて何がなんだかとりあえず、分からないんですよ。で、撮影が2回ほど行われました。その場なんですけれども、1回目はあんまりなんか分かんなかったんですけれども、2回目も撮られて、それから終わった途端に高遠さん、すごい泣いていたんですけれども「ソーリー」「ソーリー」と何回も皆繰り返すと。で、場所を移動することになりました。
そうして9日目に解放されるんですけれども、僕らその拘束グループに対する意識というのは、僕自身ですね、感情としては、1日目、2日目はすごい、まだあの、「命の保障はする」と言われても、初めてイラクを訪れたのでぜんぜんその最初は信用できないと。不安というか、例えば、同じ部屋にいる場合に、手榴弾を持った兵士たちがいるとすごいびっくりするんですよ。恐怖感はあったんですけれども、3日目ぐらいからは落ち着いて来ました。それであのいろんな兵士たちと話をしていたんですけれども、彼らは米軍によって殺されていると。アラビア語しか話せなかったんで、身振り、手振りとかで話したんですけれども。英語の通訳は1日目と8日目、9日目しかいなかったもので。
あの、米軍が彼らの子どもを殺しているというようなことで、彼らは言ってました。毎日、言われたことは、ファルージャの状況をいつも言われて、僕らもともとそういう情報がなかったので、あの何が起こったか分からなかったんですけれども。もちろん、情報、ニュースは遮断されていたので。ただ、ファルージャ状況というのは、何人死んだとかいうようなことは毎日、彼ら言ってました。スパイ容疑に関しては、1日目、2日目だけだったんですけれど、4回から5回mだいたい、聞かれました。あとですね、空爆の音はいつも聞こえていたことがありまして。
○約束反故で体調を崩す
今井 体調のことなんですけれども、最初は精神的な余裕がなかったんですけれども、3日目からは安定して場所がリラックスできる場所だったんで安定したんですけど、5日目、郡山さんが頭が痛くなって、半日ぐらいほとんど動けなくなくなってしまいました。また、何回も約束を裏切られ、本当は何日に帰す、何日目に帰すとか言われていて、その約束を何回も守られなかったので、6日目の夜に高遠さんが何もしゃべらなくなって、7日目の夕方ぐらいまでほとんど無言の状態が続きます。その後、高遠さん、立ち直るんですけれど僕が具合が悪くなって、腹を壊したりもしました。結構、精神的に後半はきつくて、そういう状況が続いて、なぜかというと、移動の自由がなくて、立つこともやっぱり許されない状況なんですよ。3日目からは安定するんですけれども。イラクの料理は塩分がたまるっていうか、そういうのがあったので、結果的に日本に帰った時に、血流不全ですね、そういう状況がありました。
9日目に解放されるんですけれども、その日もあとからモスクって知っていたんですけれども、もちろん、モスクに着く前に門を通るんですよ、また、拘束されんのかよということで、3人で話していたんですけれども、すると急に日本語が聞こえてくるんですよ、この時、初めて日本語を3人以外で聞いて、なんでだろというような感じで。竿所、すごい疑いを持っていました。その方がキデルディアさんという方だったんですけれども、最初はすごい優しくされて、気味が悪かったんですけれども。あの乾杯しようとか言われたので、ビデオ撮影は「やめてよ」とは言ってたんですけれども、気にせず、あと、アルジャジーラが入ってきて、日本大使館の人が来て、やっと解放されたんだというような感じでした。で、その後、日本大使館に着いて終わったような感じです。これが概要です。
今井 で、ビデオ撮影をする現場なんですけれども、まずはですね、あの、僕らぜんぜん分かんなかったんですけれども、まずビデオカメラを持った人がやってきます。で、並べられて、後ろに兵士たちがいると。なんか知らないんですけれども「泣いてくれませんか」ということをゼネラルに言われたと高遠さんが言われたと言っていました。で、自分なんだか分かんなかったんですけれども、とにかくすごい剣幕で急に変わり出すんですよ、その優しい笑顔から急に「ノー コイズミ」「ノー コイズミ」ということを迫られて。僕の場合は、ナイフをここにやられて。で、後、例えば銃のそれがジャラジャラしていたりとか、髪をひっぱられるとか、足を蹴られるとか、するんですよ。ものすごい恐怖なんですよ。
で、そういうような状況で、ビデオ撮影が行われて何がなんだかとりあえず、分からないんですよ。で、撮影が2回ほど行われました。その場なんですけれども、1回目はあんまりなんか分かんなかったんですけれども、2回目も撮られて、それから終わった途端に高遠さん、すごい泣いていたんですけれども「ソーリー」「ソーリー」と何回も皆繰り返すと。で、場所を移動することになりました。
そうして9日目に解放されるんですけれども、僕らその拘束グループに対する意識というのは、僕自身ですね、感情としては、1日目、2日目はすごい、まだあの、「命の保障はする」と言われても、初めてイラクを訪れたのでぜんぜんその最初は信用できないと。不安というか、例えば、同じ部屋にいる場合に、手榴弾を持った兵士たちがいるとすごいびっくりするんですよ。恐怖感はあったんですけれども、3日目ぐらいからは落ち着いて来ました。それであのいろんな兵士たちと話をしていたんですけれども、彼らは米軍によって殺されていると。アラビア語しか話せなかったんで、身振り、手振りとかで話したんですけれども。英語の通訳は1日目と8日目、9日目しかいなかったもので。
あの、米軍が彼らの子どもを殺しているというようなことで、彼らは言ってました。毎日、言われたことは、ファルージャの状況をいつも言われて、僕らもともとそういう情報がなかったので、あの何が起こったか分からなかったんですけれども。もちろん、情報、ニュースは遮断されていたので。ただ、ファルージャ状況というのは、何人死んだとかいうようなことは毎日、彼ら言ってました。スパイ容疑に関しては、1日目、2日目だけだったんですけれど、4回から5回mだいたい、聞かれました。あとですね、空爆の音はいつも聞こえていたことがありまして。
○約束反故で体調を崩す
今井 体調のことなんですけれども、最初は精神的な余裕がなかったんですけれども、3日目からは安定して場所がリラックスできる場所だったんで安定したんですけど、5日目、郡山さんが頭が痛くなって、半日ぐらいほとんど動けなくなくなってしまいました。また、何回も約束を裏切られ、本当は何日に帰す、何日目に帰すとか言われていて、その約束を何回も守られなかったので、6日目の夜に高遠さんが何もしゃべらなくなって、7日目の夕方ぐらいまでほとんど無言の状態が続きます。その後、高遠さん、立ち直るんですけれど僕が具合が悪くなって、腹を壊したりもしました。結構、精神的に後半はきつくて、そういう状況が続いて、なぜかというと、移動の自由がなくて、立つこともやっぱり許されない状況なんですよ。3日目からは安定するんですけれども。イラクの料理は塩分がたまるっていうか、そういうのがあったので、結果的に日本に帰った時に、血流不全ですね、そういう状況がありました。
9日目に解放されるんですけれども、その日もあとからモスクって知っていたんですけれども、もちろん、モスクに着く前に門を通るんですよ、また、拘束されんのかよということで、3人で話していたんですけれども、すると急に日本語が聞こえてくるんですよ、この時、初めて日本語を3人以外で聞いて、なんでだろというような感じで。竿所、すごい疑いを持っていました。その方がキデルディアさんという方だったんですけれども、最初はすごい優しくされて、気味が悪かったんですけれども。あの乾杯しようとか言われたので、ビデオ撮影は「やめてよ」とは言ってたんですけれども、気にせず、あと、アルジャジーラが入ってきて、日本大使館の人が来て、やっと解放されたんだというような感じでした。で、その後、日本大使館に着いて終わったような感じです。これが概要です。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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