冷戦の亡霊
投稿者: outbreka 投稿日時: 2004/09/04 18:38 投稿番号: [236286 / 280993]
露学校占拠:
死者250人に 負傷者も704人
3日、学校から脱出し、病院に搬送された少女は十字架を握っていた=AP
【ベスラン(北オセチア)町田幸彦】治安部隊が突入したロシア南部・北オセチア共和国の学校占拠事件は、4日未明(日本時間同日朝)までに人質の死者は「250人に上った」(対策本部)悲劇的な結末となった。病院に収容された負傷者も704人。当初ははっきりしなかった人質の数も突入後、ロシアのアスラハノフ大統領顧問が「1200人いた」と明かした。現時点で人質のうち約8割が死傷したことになる。ロシア治安当局者は、体育館から逃げまどう人質に武装集団が発砲したから治安部隊が応戦したと説明するが、あまりに悲惨な人質救出作戦だった。
学校の地下施設に逃れた武装メンバーも掃討され、3日深夜には銃撃戦は収まった。これまでに武装集団のうち27人が銃撃戦で死亡、3人が拘束された。しかし数人が人質に紛れて逃走しているといわれ、ベスラン市内は今も厳戒態勢だ。
治安部隊が突入した後、事件現場近くのアパートに暮らすタマラさん(40)は、アパート前のベンチで響き渡る銃声に身を震わせた。「あの学校の体育館に私の2人の子どもがいる」
すると、長男アツ君(14)がうなだれるタマラさんの前に姿を見せた。タマラさんは抱きつき号泣するが、アツ君はぼうぜんと立ち尽くしたまま。爆発音で一時的に耳が聞こえなくなっていた。
爆発が起き、体育館の屋根が崩れ落ちた時、アツ君は必死に走った。飛び交う銃弾のことは覚えていない。3日間、口にしたのはわずかの時間に学校の水道水に下着を浸して絞って飲んだ水だけ。タマラさんの二女も体育館にいたが行方は分からないという。
ベスランの病院の前では住民の人だかりができていた。学校から救出され搬送された人質の名前が白い紙に手書きで書かれ、壁に張り出されていた。女性らが自分の孫や子供の名前がないかどうかを探した。名前を見つけられずに泣き出す女性もいた。
病院近くの草むらは、にわかの遺体安置所となり、白い布に覆われ遺体が並べられた。その周りで人々が立ち尽くす。裸のままの女の子の遺体を抱きかかえ、無言で家に運ぶ男性もいた。
脱出に成功した人たちの証言からは、3日間のおぞましい状況が浮かび上がった。
1日朝、武装集団が運動場に乱入し、始業式に参加していた1000人以上を体育館に入らせた。体育館に入ると武装集団はすぐに10人から20人の男性を射殺した。携帯電話はすべて没収された。体育館内で武装集団は天井や壁からテープで多数の爆弾をつるした。
武装集団は「我々は弾がなくなるまで撃ち、続いて建物ごと爆破する」と宣言した。AP通信のインタビューに応えた女性(24)は「人々はずっと祈っていた。祈り方を知らない人には教えてあげた」と語った。
2日目になると、のどの渇きと疲れで気を失う子供が出始めた。メンバーの1人はせせら笑うだけだった。尿を飲むとよいと大人たちから教えられ、飲んだ子供もいたという。
「武装メンバーは何度も『政府はお前たちを必要としていない。モスクワ劇場占拠事件(02年10月)のように必ず突入作戦をする』と私たちを脅し続けた」。5年生の息子とともに人質になったザリーナさんはインターネット新聞「ガゼータ」の記者にそう語った。
3日深夜まで続いた武装集団掃討の際、ラジオ放送は「戦車が体育館に砲身を突っ込み砲撃した」と伝えた。「なお多くの遺体が体育館に残っているのに……」。現場にいた地元の記者はつぶやいた。
死者250人に 負傷者も704人
3日、学校から脱出し、病院に搬送された少女は十字架を握っていた=AP
【ベスラン(北オセチア)町田幸彦】治安部隊が突入したロシア南部・北オセチア共和国の学校占拠事件は、4日未明(日本時間同日朝)までに人質の死者は「250人に上った」(対策本部)悲劇的な結末となった。病院に収容された負傷者も704人。当初ははっきりしなかった人質の数も突入後、ロシアのアスラハノフ大統領顧問が「1200人いた」と明かした。現時点で人質のうち約8割が死傷したことになる。ロシア治安当局者は、体育館から逃げまどう人質に武装集団が発砲したから治安部隊が応戦したと説明するが、あまりに悲惨な人質救出作戦だった。
学校の地下施設に逃れた武装メンバーも掃討され、3日深夜には銃撃戦は収まった。これまでに武装集団のうち27人が銃撃戦で死亡、3人が拘束された。しかし数人が人質に紛れて逃走しているといわれ、ベスラン市内は今も厳戒態勢だ。
治安部隊が突入した後、事件現場近くのアパートに暮らすタマラさん(40)は、アパート前のベンチで響き渡る銃声に身を震わせた。「あの学校の体育館に私の2人の子どもがいる」
すると、長男アツ君(14)がうなだれるタマラさんの前に姿を見せた。タマラさんは抱きつき号泣するが、アツ君はぼうぜんと立ち尽くしたまま。爆発音で一時的に耳が聞こえなくなっていた。
爆発が起き、体育館の屋根が崩れ落ちた時、アツ君は必死に走った。飛び交う銃弾のことは覚えていない。3日間、口にしたのはわずかの時間に学校の水道水に下着を浸して絞って飲んだ水だけ。タマラさんの二女も体育館にいたが行方は分からないという。
ベスランの病院の前では住民の人だかりができていた。学校から救出され搬送された人質の名前が白い紙に手書きで書かれ、壁に張り出されていた。女性らが自分の孫や子供の名前がないかどうかを探した。名前を見つけられずに泣き出す女性もいた。
病院近くの草むらは、にわかの遺体安置所となり、白い布に覆われ遺体が並べられた。その周りで人々が立ち尽くす。裸のままの女の子の遺体を抱きかかえ、無言で家に運ぶ男性もいた。
脱出に成功した人たちの証言からは、3日間のおぞましい状況が浮かび上がった。
1日朝、武装集団が運動場に乱入し、始業式に参加していた1000人以上を体育館に入らせた。体育館に入ると武装集団はすぐに10人から20人の男性を射殺した。携帯電話はすべて没収された。体育館内で武装集団は天井や壁からテープで多数の爆弾をつるした。
武装集団は「我々は弾がなくなるまで撃ち、続いて建物ごと爆破する」と宣言した。AP通信のインタビューに応えた女性(24)は「人々はずっと祈っていた。祈り方を知らない人には教えてあげた」と語った。
2日目になると、のどの渇きと疲れで気を失う子供が出始めた。メンバーの1人はせせら笑うだけだった。尿を飲むとよいと大人たちから教えられ、飲んだ子供もいたという。
「武装メンバーは何度も『政府はお前たちを必要としていない。モスクワ劇場占拠事件(02年10月)のように必ず突入作戦をする』と私たちを脅し続けた」。5年生の息子とともに人質になったザリーナさんはインターネット新聞「ガゼータ」の記者にそう語った。
3日深夜まで続いた武装集団掃討の際、ラジオ放送は「戦車が体育館に砲身を突っ込み砲撃した」と伝えた。「なお多くの遺体が体育館に残っているのに……」。現場にいた地元の記者はつぶやいた。
これは メッセージ 236284 (cardockjp さん)への返信です.
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