理解させようとするか、理解しようとするか
投稿者: akagaminoshyannkusu 投稿日時: 2004/08/27 10:27 投稿番号: [234116 / 280993]
ごきげんよう。
日常生活を含め、自分の意の沿わないことが起きた場合、誰かにされた場合。
相手が何故、そうしたかを理解しようとする人。
自分が何故、そうしたかを理解させようとする人。
この違いが、大きな結果の違いの元になるのかな、って感じます。
このトピの擁護派(ひとくくりにして申し訳ないです)の論調には、理解させよう、
(していただこう、ではないものが多いような気がしてますが)だけでなく、
掲示板の投稿へのレス、あるいは、掲示板上の人間関係?にも、その姿勢の違いが見て取れます。
自分は正しい、自分は間違っていない、自分を間違いだという貴方が間違いだ。
そして、その主張の結果を受け入れてもらえないと、まるで、被害者のような態度をとる。(苦笑)
これは、コミュニケーションではない
のではないかなって思います。
私がこのトピに投稿するようになったのは、正直、イラクに拘束された3人の家族の発言に、
上記の『理解させよう』という姿勢を強く見い出し、そのことが、
そういう姿勢をとる人が実生活でも、余りにも多いことに、ある種の『憂い』を感じたからです。
そういう『オトナ』が余りにも多いという現実を、残念に思いますし、
自身を省みて、己の発言、行動に、そうした『傲慢さ』や『思いあがり』と見られるようなことがないだろうかと。
自省、自責の為に、再度、投稿させていただいております
(いつまで続くか、わかりませんが(苦笑))
勿論、人は自分の事を第一に考えます。
しかし、だからこそ、相手というに映った自分に注意を払うべきではないのかなって。
相手の話しを聞く、聴く姿勢。相手を理解しようという姿勢がなければ、
コミュニケーションは成立しないことを、学ばせていただきました。
もって、他山の石とす。
反面教師として、自省の材料とさせていただきたいと思います
ちなみに、これは、ナニスンジャ氏と常識氏のことではなく、
他の方の姿勢から感じ、学んだことであることを付記しておきます。
ごきげんよう
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/a5a4a5ia5afa4gffckdcbfm94bab_1/234116.html