「疑う」ということ
投稿者: tenshinokiseki 投稿日時: 2004/08/16 07:38 投稿番号: [230804 / 280993]
おんなの勘さん、レスありがとう。
そして、またまた貴重な資料を提供してくれてありがとう。
>「疑わしき部分を疑う」 といった話なら、責められるものではないと思います。
たしかにその通りだよね。
「疑わしき部分を疑う」という、人間として基本的な事が許されない社会は、
北朝鮮や戦前の日本のような全体主義国家であり、
そのような国家になってしまうと、「既得権」を持つ者が、
「疑う」ことに対して躊躇する国民から、どんどん利益を吸い上げることが出来る。
「疑い」=悪、ということを当然の事だとしてしまうと、
奴隷のような「従順」な国民ばかりになってしまう。
より良い国家にしようという気持は尊いが、「従順」は尊い行為ではない。
それどころか、
国家の中枢に対して「従順」になる事は、責任逃れの卑怯な行為である。
国民が全て「従順」であれば、選挙など意味を為さなくなる。
「疑う気持」を持っていてこそ真面目な国民である・・・と思ってる。
これは メッセージ 230800 (onnano_kan さん)への返信です.
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