イラクで日本人拘束

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「南京大虐殺」は無かった

投稿者: yoku_wakaranzo_oi 投稿日時: 2004/08/04 15:00 投稿番号: [227233 / 280993]
中国の首都だった南京が陥落したのは昭和12年12月13日だが、12月1日に南京市長は、市内残留市民に対して、市内に設けられた安全区に避難するよう命じた。この安全区を管理したのは、当時南京に残留していた米英独人による15人の国際委員会だった。その委員会の記録によると、全市民20万人は全員無事であったと、ジョン・H・ラーベ国際委員長が日本軍に感謝の書状を出している。

日本軍が南京市を占領したことにより、市外に避難していた市民は安心して続々と市内へ帰り、20万人だった市民は1ヶ月後に25万人に増加し、治安も格段によくなった。その様子は当時の朝日新聞に写真入りで報じられ、新聞縮刷版に残されている。

南京陥落と同時に取材のため入城したのは、新聞記者・カメラマンの外人記者5名を含め約120人と、その他著名な作家・詩人・評論家たちだったが、その誰一人として虐殺・強姦の場面や屍体の山・血の川等を見ていないので、全く報道されていない。

1907年のハーグ陸戦条約(付属規則)によると、戦闘員は非戦闘員との区別ができるように遠方から確認できる標識をつける事、陸戦条約を守る事などが定められ、これに違反した場合の罰則は「捕虜としての待遇が受けられない」となっている。最高指揮官が逃亡したのでパニックに陥って、潜入が禁止されている安全区に逃げ込み、民衆の着衣を着て抵抗する便衣兵を捕らえて処刑する事は、戦時国際法にのっとる正当な戦闘行為であって虐殺ではない。

日本軍と戦った蒋介石の国民政府軍の総司令官・何応欽上将の軍事報告書の中に、南京が陥落したときの様子が詳細に述べられており、将校・下士官・兵の戦死傷者の数も明細に記録されているが、「市民の虐殺」などは全く書かれていない。

戦闘の当事者でなかった当時の中国共産党は、このときの戦闘を批判的に注目しており、後に『抗戦中の中国軍事』なる詳細な記録を残しているが、この中にも「南京虐殺」の事など一行も書かれてはいない。

当時の国際連盟は、シナに味方して日本を非難する決議まで行った。しかし南京陥落直後の1月26日から開かれた国際連盟100回理事会でも、その直後の米・仏・ソ・中の代表によるシナ事変問題小委員会でも、「南京虐殺」など話題にさえならなかった。
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